アーナルデュル・インドリダソン「湿地」感想
「湿地」という映画を観た。
個人的に北欧に興味があるというのもあって、ふと「北欧にはどんな作品があるんだろう?」と疑問に思ったからだ。
最近は、何か映画を観ようと思えばまずはAmazonで検索するのが習慣になってしまったので、今回も例に漏れずトップページから「北欧 映画」で検索してみた。
他にもいくつか作品はあったけど、あらすじを読んで一番ピンときたのがこの「湿地」というタイトルだった。
果たしてどんな内容なのか?
映画「湿地」のあらすじ
まず最初に断っておきたいのが、この映画はアーナルデュル・インドリダソンという作家の同名小説「湿地」が原作である。
ちなみに、私はこの小説を読んでいない。
映画を観ておもしろければ、たいてい原作にも手を出す人間なので、たぶんそのうち読むと思う。
ただしそれは、だいぶ元気のある時にしたい。
映画「湿地」のストーリーは、『幼い娘を難病で亡くした若い父親と、ある殺人事件の謎を追うベテラン刑事』を主軸に進む。
若い父親は遺伝子研究所で働く研究者であり、自分の娘がなぜこの病気に罹ってしまったのか真相を突き止めようとする。
一方刑事は、自身の娘の素行に頭を悩ませながらも、地道に事件の調査を行い、被害者の過去を遡っていく。
やがて2人の男たちが追う真相には、30年前に起きたある事件が発端として浮かび上がってくる。
オチが分かってしまえば、「なあんだ」という感じだし、きっとカンの良い人なら中盤あたりから薄々結末が見えてしまっているのかもしれない。
自分などは慣れないアイスランドの人名が出てくる度に、頭の中でそれを整理しているうちにストーリーが進んでしまい、それどころではなかったが・・・。
松本清張系の作品が好きな人なら、多分気に入ると思う。
時間も約1時間30分と映画としては短い方なので、軽いドラマを見るくらいの気持ちでいける。
思ってた北欧と違う
この映画には、最近あまり見ない珍しいシーンが頻繁に出てくる。
タバコだ。
とにかく、主人公の刑事がしょっちゅうタバコを吸っている。
囚人にも勧める。
妊娠している刑事の娘も吸う。(ついでにコーヒーも飲む)
自分の持つ拙い北欧のイメージは、「福祉国家」、「高い教育水準」、「美しい自然」。
あとは「北欧の至宝」マッツ・ミケルセンとか・・・。
そういったテンプレートな想像を、この映画はことごとく覆してくれた。
まず、街があまり綺麗とは言えない。
ヨーロッパでは比較的綺麗に整備されている方かもしれないが、登場人物の部屋なども含め、日本人の目から見るとどこもかしこもザックリとした作りに見える。
出てくる若者は不良ばかりだし、高い教育を受けているようには到底見えない。
美しい自然はまだしもだが、画面が全体的に寒々しく暗いため、壮大ではあるけれど海辺のシーンなどはむしろ恐怖が先立ってしまう。
食べ物もかなり大味で、羊の頭をまるごと(!)とか、同じくそれをただ寸胴鍋で煮込んだスープなどなど。
そしてそれを、携帯ナイフのようなもので切って口に入れ、しまいには手で引き千切って食べていた。
調べてみたら、一口に北欧と言ってもフィンランド、デンマーク、バルト三国などを含む一帯を指すらしく、やはり国ごとに特徴がある。
特にアイスランドは、他の北欧諸国とよく似た文化を持ちつつも、歴史的経緯および民族性や地理的条件などから、特異な性質を持っているらしい。
自分が漠然と捉えていた「北欧」のイメージは、どうやらフィンランドのものだったようだ。
かといって、アイスランドが野蛮な国だと言うつもりは毛頭ない。
リアリティがあるように見えても映像作品なので、そこは誇張されている可能性がある。
特に「若者が不良ばかり」だと書いたが、これは刑事の娘が不良なのでその仲間たちも必然的に不良だらけなせいである。
やはり、どこにでもそういう若者はいる。
島国で火山帯という、日本人としては親近感の湧きやすい性質を持つアイスランド。
とにかく寒い地域なうえに、映画自体の雰囲気で画面が暗く造られているので分かりにくいが、有名な観光地や世界遺産を有する国である。
恐ろしく見えた海も、晴れた明るい日に見ればまた違うのかもしれない。
名前がややこしいけど分かりやすい
アイスランド人の名前が聞きなれない・・・。
何故って普段、あまり耳にしないから。
この映画にも、いろいろな人が登場するが、そのどれもが一発で覚えられない名前ばかりである。
唯一覚えやすかったのは、冒頭で死んだ少女コーラちゃん。
この子の名前だけは一発で覚えられた。
ところで私がアイスランド人と聞いて思い出す名前は、マンガ「ヴィンランド・サガ」のトルフィンとかなのだが、彼はいつも名乗りを上げるときにこう告げる。
「トールズの子、トルフィン」と。
他の登場人物たちも、「ウォラフの子、アシェラッド」とか必ず自分が誰それの子だぞとまず名乗るので、当初は不思議に思っていた。
普通、自分の名前を名乗るならフルネームを言うだろうし、自分が誰かの子供だと主張したいのなら、尚の事親の名前を全部言うべきなんじゃないかと。
だが、これは後に自分の勘違いである事がわかった。
彼らにとっては、これがフルネームなのだ。
アイスランド人は、世界的に見ても珍しい名前の法則を使用している。
父親の名前がそのまま姓として使用されるのだ。
トルフィンを例に取れば、彼の父親がトールズなので、彼のフルネームはトルフィン・トールズソン(トールズの息子トルフィン)になる。
また女の子の場合は、トールズソンではなくトールズスドーティルとなるはずなので、お姉さんのユルヴァちゃんはユルヴァ・トールズスドーティルとなるはずである。
現在ではお母さんの名前を使う場合や、同姓同名の人がいる場合は祖父の代まで遡って区別する事もあるそうだが、とにかくややこしい。
アイスランドの人たちはそれで慣れてしまっているので問題ないのかもしれないが、ファミリーネームに慣れてしまっている国の人間からするとなかなかハードである。
とりあえず、アイスランド人のフルネームを聞けば、「ああ、この人のお父さん○○さんて言うんだな」と紹介されてもいないのに知ってしまえるのはある意味便利なのか??
映画の中に出てきた少女の墓標には、少女の名前と母親の名前を繋げたものが刻まれていた。
『コルブルンの娘、ウルドル』
何故そんな書き方をするのか見ていて不思議に思ったが、彼女の場合は父親の名前を使えないためそうなっていたのだ。
ちなみにこの方式を現代でも使用しているのは、アイスランド人とモンゴル人、一部地域のアイスランド系種族だけらしい。
一方、デンマーク人は「○○セン」など名残が見られるものは残っているものの、現代では普通にファミリーネームを使用している。
こうして見ると、まだまだ奥の深そうなアイスランド。
国民1人当たりの年間読書量が世界トップレベルであり、近年は自費出版も盛んと言われるこの国が生んだ作品に今年は注目していきたい。
映画「湿地」はAmazonプライムで無料で見られるので、興味のある方はどうぞ。
西餅「僕はまだ野球を知らない」を紹介したい
マイナーながらも個人的に大好きな作家、西餅先生の最新作がいったん完結してしまった。
このマンガは、野球のまったくできない若い監督が、統計学を使って弱小高校を甲子園に導くというお話。
な、何言ってんだかわかんねーと思うだろうが、順に説明していくぜ。
「僕はまだ野球を知らない」のあらすじ
舞台は、浅草橋工業高校の野球部。
この高校で物理教師をしている宇佐智己(うさともき)は、子供の頃から大の野球好き。
だが運動神経の悪さが災いし友達の野球仲間にも入れてもらえず、いつもただ見ているだけの幼少期を過ごしてきた。
そんな野球への欲求不満を溜めに溜めたまま大人になった宇佐が、突如野球部の監督に就任する事が決まる。
張り切る宇佐だったが、「野球をプレイしたことがない」監督に部員たちは不安を抱く。
部員たちの不安をよそに、次々と斬新な視点で野球部を「改革」していく宇佐。
次第に目に見えて成果が出始め、部員たちも徐々に宇佐を信頼していく。
宇佐「勝てる野球、はじめませんか?」
犬好きがこのマンガを読む理由
ぶっちゃけ、私は野球に興味がない。
野球のルールも細かい事とか全然わからない。
スクイズとか名前くらいは聞いたことあっても何のことやらさっぱりだし、ディレイドスチールにいたってはファイナルファンタジーとかの主人公の名前かと思った。
でも、興味がないなりに「西餅先生のマンガだから」と思って手を出して、予想通りに面白く、野球にほんの少し興味を持てるくらいにはなってしまった。
過去には川原泉先生の「甲子園の空に笑え!」とかも作者買いで読めていたので、このマンガも多分そのノリだと思う。
まずこのマンガの何が面白いって、宇佐先生の経営手腕だ。
物理教師をしている宇佐先生のモットーは、とにかくデータと合理化!
下手に少年野球チームや野球部を経験してこなかった分、宇佐先生には「野球部はこうあるべき」という固定観念がない。
切るべきところは切って、新しく有用なものはどんどん導入していく。
グラウンド上のゾーンデータ、キネクトを使用したトラッキングシステム、アイトラッキング等々、そこから得たデータを元に統計学(セイバーメトリクス)を駆使し、次々と選手たちの能力をモデリングしていく。
選手の強みと弱みをデータで把握し、それをトレーニングによって強化もしくは克服する環境を整え、一人ひとりの個性を最大限に伸ばす方法を宇佐先生は模索する。
さらには、栄養管理による食事内容の見直しや、ミーティング時の意見交換のしやすさなどにも着手してしまう。
野球部に限らず、体育会系の部活にありがちな「因習」を徹底的に排除し、チームプレイとしての野球とはどのようにあるべきかをとことん突き詰めていくのだ。
これって、監督が当然やるべき仕事だと素人の自分は思っていたのだけど、どうやら一般的にはそうではないらしい。
宇佐先生のやり方はプロ野球の世界ならまだしも、普通の高校野球部のやり方からは(多分)逸脱している。
あくまでも高校野球に限った話でプロはまた違うのかもだけど、作中の監督たちは「長年のカン」を頼りに、当然のように自分の好みを選手に押し付ける。
それにより、当然のように個性(才能)を否定された選手たちは、やる気を失ってしまう。
「可能性とやる気を奪ってしまうのが、どんなに酷いことか分かっていますか?」と宇佐先生は言う。
純粋に野球を楽しめていた子供時代から成長するにつれ、たまたま所属していたチームの監督(大人)から才能を否定されやる気を失ってしまった選手(子供)たちの秘めたる可能性を、宇佐先生は次々に見出していく。
それは、強豪校で監督をする父親のやり方を昔から見てきたゆえの彼なりの結論であり、彼は絶対に「父親のようなやり方はしたくない」と語る。
・・・こういう風に書くと至極真面目な内容に思えるが、西餅マンガ特有の脱力したギャグセンスをベースにストーリーはユルく進んでいく。
西餅先生らしい視点が光る良作だと思っていたのだが、残念ながら現在は連載終了している。
全5巻をもってこのマンガは終了してしまった。
「僕はまだ野球を知らない」復活するってよ
とか別れを惜しむような事を書いてはみたものの、実はこのマンガ復活するらしい。
西餅先生のTwitterおよび、単行本の巻末にもそう書かれていたので多分間違いない。
これまでの西餅マンガはどれも4~5巻で完結してしまっていたため、今回もその例に漏れなかったわけだが、続編の話が出ているのならこれはもうファンとしては嬉しい限りだ。
「どのような形になるかわからない」という書き方が若干気になるが、古い言い方だが正座で待機したいと思う。
それくらいに期待は大きい。
願わくば、同じ世界観の作品「ハルロック」にてハルちゃんを電子工作の道に引きずり込んだ張本人、河原崎数一先生の出番がもっと増えると嬉しい。
せっかくなので他の西餅マンガも紹介したい
このように、西餅マンガの根底にあるのは”アウトサイダー”だ。
「犬神もっこす」の犬神くんも、「ハルロック」のハルちゃんも、「僕はまだ野球を知らない」の宇佐先生も、みんな主流からは外れた存在ではあるが、そこにこそ自分の道を見出している。
特に「ハルロック」のハルちゃんにいたっては、彼女のお母さん目線でその異様さがあぶり出される。
確かに、自分の娘が年頃になってもオシャレや異性にまったく興味を示さず、毎日ひたすら電子工作に精を出していたら、そりゃあ心配にもなるだろう。
でも当の本人はまったくそんな事気にしてないし、「毎日こんなに楽しいんだから何も問題ないと思うけどな~」と言い切れるその強さ。
作中でも言われているとおり、既に自分が夢中になれるものを知っている人はそれだけで一生ハッピーでいられるのだ。
この「僕はまだ野球を知らない」の宇佐先生も、部費のみならず私財まで投じ「自分がやりたくてもやれなかった野球に関われなんて、貯金使い果たしてしまうくらい嬉しい!」と言い切る。
たとえ周囲から変人扱いされていても、自分にとっての幸せをどこまでも突き詰る人生は幸福であると。
西餅先生のマンガは、アウトサイダー達に勇気をくれるのだ。
良ければ、西餅先生の別作品「ハルロック」について書いたこちらの記事もどうぞ。
中川海二「環の影」感想
最近買った一番新しい本。
中川海二先生のマンガ「環の影」。
本屋で新刊コーナーをブラブラしていたら、なんとなく気になって買ってみた。
以前この人の「ROUTE END」を読んだことがあるのに全然同じ作者だと気づかず、帯をめくってビックリした。
いつの間に終わってたんだ、「ROUTE END」・・・!
途中までマンガ喫茶で読んだけどその後ずっと忘れてしまっていたので知らなかった。
そんな訳で本書を読み終わった後いてもたってもいられず、「結局犯人誰だったんだよ!?」という疑問を胸に最寄りの「快活CLUB」を検索し走ったのは少し前のことだがそれは置いといて。
ここではこのマンガの感想について書きたい。
「環の影」ってどんな内容?
まずこのマンガは、一言で言うと「ファンタジー」。
帯の紹介を引用すると、「アジアンバトルファンタジー」である。
架空の世界設定、架空の国家、架空の国民、架空の文化、架空の宗教、架空の軍事バランスとそれを支える架空の軍事技術を軸に、主人公の女の子と青年が翻弄されていくという物語(だと思う)。
西洋モノのファンタジーだとある程度皆が共有している知識(モンスターとか魔法とか)を元にだいたい似たような感じになっちゃうけど、東洋ファンタジーというのは斬新だと思った。
しかもこの作品は、アジアンファンタジーと言っても中華系ではなく、どちらかというとブータンやチベットみたいな独自の文化を持つ少数民族国家が主体として話が進むので、尚の事新しい。
もちろん、お約束として大陸を支配するような巨大国家も出てきてこちらは中華系な感じもするのだけど、世界観がまるで別の星として設定されているのであまりそっちにも引っ張られない。
ざっくり説明すると、舞台は土星のような環を持つ惑星。
そこには大きく分けて二つの大陸が存在し、大小さまざまな国が存在する。
近年は主に二つの大国が覇権を争っているけど、中には独自の軍事技術で独立性を保っている小国もある。
その一つが、主人公の暮らす"影従国"。
この国は季節によって移動する影(惑星の環が地上に落とす影)を神聖なものとして崇めており、その影を追って自分たちも季節ごとに移動する。
列車のような移動式の国家で、王位制が取られており、中では国民たちが普通の国家のように統治された状態で暮らしている。
小国にも関わらず大国に飲み込まれないのは、彼らだけが持つ”白帝”と言う最強の軍事技術によって他国への抑止力が働いているから、という設定。
こういうオリジナルの設定を作るのって自由度が高い分、何から何まで全部一から構築しなきゃならないし大変だと思うのだけど、結構その辺も細かく考えられてそうなので小出しが楽しみ。
民族衣装とか紋様とか入れ墨とか、凄く好みだし。
「環の影」の個人的に好きなところ
まあ、一番は上にも書いたとおり、民族衣装ですね。
特に主人公のお姉さんで王妃様の服が、かなり細部まで描いてあって兎に角凝ってる。
あれだ、「乙嫁語り」とか好きな人には刺さるかもしれない。
あと服の紋様とか入れ墨。
お姉さん、独身時代は入れ墨入ってなかったぽいんで、王様と結婚するにあたり全身に彫ったという事なんだと思う。
他の国民はお坊さんくらいしか入れ墨してないぽいし、きっと宗教的な意味があるんだろうな。
キャラクターで好きなのは、主人公の1人である青年アウシ。
ええとこのお坊ちゃんらしいのだけど、生まれつき全盲で"白鎧"の技術により目が見えるようになったという。
真面目で優しい性格なのに、自分の好奇心を何よりも優先するタイプなもんだから度々周囲を困惑させるので、この物語の狂言回しという位置づけぽい。
もう一人の主人公カマルが、子供という事を差し引いても無鉄砲で考えなしな性格なので(いい子なんだけどね)、彼がいてバランスが取れている感じ。
最新話まで追った感じでは、壮大な設定の割にはけっこうテンポよく話が進むので、このまま息切れせずに続くと良いんだけど。
「ROUTE END」はけっこう意外な終わり方だったけど、改めて読み直すと伏線はけっこう前から敷かれていたので、きっとこの作者はラストを見据えてストーリーを作るタイプなんじゃないかと思う。
なので、こちらも最後まで描き切ってもらいたい。
「環の影」は「JUMP+」で読める
何が凄いって「ROUTE END」もそうだけど、これが毎週「JUMP+」で無料で読めるってことだと思う。
最近はこういう形態のサービス多いみたいだけど。
わざわざ紙に印刷して雑誌にするよりは、タダでも読んでもらって気に入ったら単行本買ってもらう方が効率的ってことなのか。
確かに、閲覧数とかでだいたいのファン数絞り込めるだろうから、初版の発行部数も予測が立てやすいんだろうけど。
自分も続きが気になって、とうとう「JUMP+」に手を出してしまった。
もっとも、忙しかったりするとチェックするのを忘れてて「あ~~先週の話見逃した~~!!」て事もあるので、やっぱり単行本が出たら買っちゃう気がする。
結構、発行ペースは速そうなので、2巻発売が楽しみである。
「ROUTE END」もおススメなので、猟奇サスペンスがお好きな方は是非。