ニール・ゲイマン「アメリカン・ゴッズ」感想
だいぶ更新が開いてしまった。
相変わらずコロナは収束せず、中国の動きで香港行きはもはや絶望的となってしまったが、今回はアメリカである。
ここ最近は気になる小説をひたすら読み続ける生活を送っているので、ぼちぼち感想などを書いていきたい。
今回書くのは、ニール・ゲイマン作「アメリカン・ゴッズ」である。
聞いたことがある人も聞いたことが無い人も、ゆるいオカルト系ファンタジーが好きな人ならきっと気に入ると思うので、どうかお付き合いください。
ていうか、ニール・ゲイマンて誰?
ニール・ゲイマンは古くはアメコミの原作などを手掛けていたイギリス人作家の1人で、主に神話やオカルトなどのファンタジー小説を書いている作家である。
近年は彼の小説がAmazonビデオでドラマ化され、特に「グッドオーメンズ」が腐女子界隈で人気を博したと聞いた。
まあ、あれも面白かったのだけど、天使と悪魔が世界滅亡をなんとか阻止しようとするコミカルテイストの話とは違い、「アメリカン・ゴッズ」はどちらかというとエログロありきの暗い話で自分としてはこちらの方が好きだった。
オタクとオカルト・神話は親和性が高い。
しかも映像が幻視的で美しく、とにかくエロい(大事な事なので二回言いました)。
残念ながらシーズン3がコロナの影響か制作が中断されているようで、待てど暮らせど公開される気配がないため、とうとう原作に手を出してしまった。
ニール・ゲイマンの小説を読むのはこれが初めてなのだが、自分にとって良かった点も悪かった点も含めて、備忘録として残しておきたい。
「アメリカン・ゴッズ」つまりアメリカの神々なわけで
まず「アメリカン・ゴッズ」が全く初見という人のために簡単なあらすじを言ってしまうと、主人公のシャドウ・ムーンという男性が神々の諍いに巻き込まれるというストーリーである。
今更言うまでもないが、人種のサラダボウルであるアメリカには多種多様な人々が住んでおり、ネイティブアメリカン以外は皆、他の国から移住してきた移民だ。
その移民たちが我が物顔で生活しているこの国の宗教事情って、一体どうなっているの?というのがこの物語の主題と言って良い。
つまり、神という存在が実在するとして、彼らを信仰していた人間が他の土地に移住した場合、その神はどうなってしまうのかという事だ。
結論から言うと、彼らがかつて暮らしていた国で信じられていた神たちも、彼らの信仰と共にアメリカにたどり着く。
そして細々とながら生きながらえているという設定である。
その多くが多神教の神々なのだが、人間が創り出し小さなコミュニティで圧倒的支持を得ていた彼らが、大きなコミュニティに流れ着くとどうなるか・・・。
当然信望者は減り、力が弱くなっていく。
しかも彼らをアメリカに連れてきた人々の子孫たちは、彼らは彼らで新しい神々を創造するから、パイが増えるごとに彼らの信者は減っていき、信仰の取り分は少なくなる。
新しい世代が信望する神とは、つまりは新しい力と価値観だ。
グローバリゼーションの神、ニューメディアの神、テクノロジーの神、マネーの神などなど。
そういった時代に合ったものたちに信者を奪われ、古い神々はどんどん見捨てられていく。
そして彼ら自身も資本主義経済の波に飲み込まれ、ある者は家畜の始末人、ある者はタクシードライバーになるなどして、人間のように細々と暮らしている。
そんな中、ある古い神の一人が他の神たちに告げる。
「このままでは終われない、力を合わせてやつらに対抗しよう」
この神こそが北欧神話の主神オーディンことウエンズデーであり、主人公シャドウを引っ張りまわす張本人なのだ。
結構内容違うね?
で、話を小説版の感想に戻すが、一言でいうと「結構内容ちがくね?」である。
もちろん話の大筋は一緒なのだが、各キャラクターの扱いに小説版とドラマ版でかなりの差がある。
特に大きいのが、シャドウの妻ローラ、イフリートと関係濃厚なサリム、SNSで復活を果たした古代の神ビルキスの3人だ。
ドラマ版ローラは、とにかく自分中心な性格で嫌われキャラ面が目立ったが、小説版では自分の事はさておき、兎に角シャドウを救いたい一心で動きまわっている。
勿論再び生きたい、ゾンビ状態からきちんと蘇生したいという願望はあるのだけど、あまり性格的な難が見えずらいのは、ドラマ版でロードパートナーだったレプラコーンとの絡みが一切ないせいだろう。
(レプラコーンの最後は、ドラマ版・小説版ともに気の毒だった・・・。)
次に真面目で不運なセールスマンのサリムだ。
ドラマ版ではイフリートと一夜を過ごした後、彼を追って行ってハウスオンザロックで再会後、彼の傍に居続けるためにがっつり旧神陣営に身を置いていたにも関わらず、小説版ではまったく出てこない。
イフリートとホテルに入ってやる事やって、そこで終了である。
イフリートが持っていたタクシー運転手の身分を引き継ぎ、新しい人生を手に入れるところで終わっている。
最後に、シバの女王ビルキスだが、この人が一番ショックだった。
ドラマ版の方は彼女の栄枯盛衰をかなりの尺を使って取り上げ、出会い系SNSを使って復活を果たしエネルギーチャージした後は、主役側と敵側両方にコネを持つトリックスター的な立ち位置にいたはずが、小説版ではあっさり退場している。
つまり、ドラマ版は小説版をかなり拡大解釈した、再構成したうえで制作されているのだ。
他にもアナンシが老人から若者になっていたり、テクニカルボーイがギーク系太っちょからスタイリッシュ系スレンダーになっていたりと、小説→ドラマでキャラクターの容姿もかなり違う。
ちなみに、主人公のシャドウ自体も髪あり→髪なしに変更されているので、ドラマ版シャドウを頭に思い浮かべながら読んでいると、一瞬シャドウと認識できなかったりした(笑)
個人的には古き神々の中で殆ど唯一の成功者ともいえるイースターのキャラクターが好きだったので、 物語終盤でも彼女の出番があったのが嬉しかった。
そして、小説のラストで明かされる真実が、果たしてドラマ版でも採用されるのか?
ストーリーの鍵を握るシャドウの獄中仲間ロー・キー・ライスミスの正体にシャドウが気づく日が来るのか?
お願いだから、ドラマ版がこのまま打ち切りにならない事を祈るばかりである。
盆ノ木至「吸血鬼すぐ死ぬ」アニメ化キター!
以前「アニメ化しねーかなー」と書いたマンガ「吸血鬼すぐ死ぬ」が本当にアニメ化するらしい。なにこれ凄い。
「笹に願い事書いて吊るしたら叶った」みたいな感じだ。
この情報が入ってきたのが昨日5月7日。おそらく8日の単行本発売に合わせて発表したと思われる。
いつもならそこまで「新刊出たら即GET!」にこだわらない自分だが、今回ばかりはテンションが上がって早速購入してしまった。
Amazonで注文して届くまでまてない!と気がはやり、通勤経路にある本屋にいそいそと立ち寄ったのだがまさかの「在庫切れ」であえなく撃沈。
これは中規模書店の仕入れの甘さを責めるべきか、それとも密かに「吸死」が売れ出している事を喜ぶべきか・・・。
泣く泣く諦めようかと思ったが、少し離れた場所にある小さい本屋の存在を思い出し足を向けてみるとあった。
ありがとうおばあちゃん!
本棚の前をウロウロしてる自分に「秋田書店の新刊は向こうだよ!」と大きな声で教えてくれてありがとう!
あまりの嬉しさと、今時珍しい地域密着型書店を応援したい気持ちもあって、買う予定ではなかった本まで買ってしまった。(黒鷺死体宅配便いつのまに新刊出てたんや・・・)
そんなわけで、今回は「吸血鬼すぐ死ぬ」15巻について書きます。
吸血鬼・ネッシーに見えるおっさん
新横浜にネッシーらしきものが現れる。
それを少年の心を忘れない大人2人(+カメラマン)が探しにいく話。
ネッシー改めハマッシーとの心温まるふれあい。
明らかになるハマッシーの悲惨な過去。なぜハマッシーは海を離れ新横浜にたどり着いたのか?
我々人類がこの悲しい運命(さだめ)を背負う恐竜にできる事とはなんなのか?
最後にハマッシー(おっさん)が見せた涙の意味とは!?
そんな感じの話です。
吸血鬼ドラルクがいっぱいコレクション
ドラルクの意外な一面がたくさん見られるゾ☆
プリクラってもう何年も撮ってないなって・・・
最近のは凄いらしいですね。
顔やスタイル補正できたり、スマホに画像送れたり。
ところでこの話だけ吸血鬼の名前が出てないのだが、吸血鬼・プリクラに映りこむ
ゲッターとかだろうか・・・。
LET'S!タマシング
この人の霊がゴールデンライオンタマリン(哺乳綱サル目オマキザル科)に憑りついて日本で生活してるというだけでもう面白いのだが、この人の下ネタっぷりが毎度群を抜いている。
本人の意図によらず(ていうか絶対ムッツリだろこの人)、今回もだいぶやらかしているが最後は割とカッコよく〆た。
まあサルなんだけども。
吸血鬼・下半身透明
お馴染み変態吸血鬼兄弟の3男が主役。
出番が多い割に、こんなに話のメインにくるのは初登場時以来じゃなかろうか。
今回、次兄(吸血鬼・マイクロビキニ)には割と塩対応なことが判明した。
吸血鬼・君がエッチなことを考えると星を降らせるおじさん
今回メインじゃないのに意外に大活躍だったおじさん。
影の主役。
なんとこのマンガには珍しく2話連続で話が続く。
ただしこのおじさんは出ない。
千葉から来た腕利きの女性ハンター・キズちゃんが、敵のメイス・アイナクと今後どうなっていくのか楽しみではある。
ドラウスパッパ
毎度通常運転なドラルクのパパ・ドラウスが主役。
今回はちゃんと息子にアポを取った。にも拘わらず待ち合わせ場所にたどり着けない。
新宿駅は慣れないと誰でも迷子になるから仕方がない。
息子に約束忘れられちゃっても負けないでパッパ!!
ドラルクが98回死ぬ
皆で寄ってたかってドラルクを殺しにかかる不穏な話。
ではなく、街を守るため1人が皆のために、皆が1人のために!
One for all, All for one.なお話。
唯一ヒナイチちゃんだけがドラルクに「すまん」と誤って殺してた。優しい。
カンタロウとナギリ
歩く迷惑カンタロウがナギリの家に押し掛ける話。
ある意味「吸死」中一番たちが悪い男カンタロウと、それに苦労させられる元辻切ナギリという最近ではすっかりポピュラーになった構図。
個人的には早くナギリをジョンに会わせてあげて欲しい。
吸血鬼・100円ショッパー
100円ショップって楽しいよね。
でもたまに300円のものとか売ってるからうっかりぬか喜びしたりして切ない。
吸血鬼・裏新横浜
住んだらおもしろそう。
吸血鬼・貧弱くそモヤシ
もはや悪口でしかない名前だが、何気に出番が多い。
ダンピールの漫画家・神在月シンジとも仲良くやってるみたいで良かった良かった。
ところで同じダンピールでもその能力を生かして吸血鬼退治をしている半田やミカヅキくんと違って貧弱モヤシな漫画家をしてるあたりダンピールも人それぞれだなと。
ダンピールなんて中二な設定背負って生まれてきても、生き方は人それぞれだなと考えた次第です。
「吸血鬼すぐ死ぬ」人気投票
アニメ化を祝して現在チャンピオンでは「吸血鬼すぐ死ぬ」の人気投票が行われている。
神様の言う通り、好きなキャラに何票でも自由に入れられるクレイジーな企画なようなので、気になるかたは下のツイートをご覧ください。
これが吸血鬼すぐ死ぬの人気投票だ pic.twitter.com/kZ2NNnMLMu
— ドラルク(吸血鬼すぐ死ぬアニメ化決定!!)(15巻5/8発売) (@bonnoki) 2020年5月7日
新刊メチャメチャ面白いのでみんな読んでね!☆
飛浩隆「廃園の天使」の復活を祝して
GWも終わりなので振り返りを行いたいと思う。
連休中、一度はブログを更新しようと思っていたのに気が付けば最終日だ。
思えば、いつも夏休みの宿題はギリギリまでやらない派だった。
人間そうそう本質は変わらない。
飛浩隆作品を3冊読んだ
この連休中に自分が「これだけは」と思いあらかじめ用意していたのが、言わずもがな読書だ。
つんどく状態で溜まってしまっている本を順番に片づけていった。
その中でも特に楽しみにしていたのが、飛浩隆さんの作品である。
SFファンならご存じだと思うが、寡作ながらも近年の日本SF界で大きな存在感を持つ作家さんだ。
この方の作品はこれまで代表作「廃園の天使シリーズ」しか読んだことがなかったのだが、そのうちの一つ「ラギッド・ガール」を再読して改めてハマってしまった。
なので、短編集などを連休に間に合うようにAmazonで注文しておいたのだ。
読んだ作品は以下の通りである。
- 「象られた力」
- 「自生の夢」
- 「ポリフォニック・イリュージョン」
最新作「零號琴」は他との兼ね合いもありキャパオーバーだったので、これは後のお楽しみにすることにした。
「象られた力」で描かれるスペースオペラ
短編集「象られた力」には4作品が収録されているが、ある特異な天才ピアニストを中心としたストーリー「デュオ」を除き、あとは宇宙が舞台である。
特に表題作である「象られた力」と「夜と泥と」は同じ世界観を共有しており、宇宙開発および人類が居住する惑星のテラフォーミングを管理する組織として「リットン&ステインズビー協会」なるものが登場する。
こういう設定すきだなあ。
個人的にはもうちょっとこの協会がらみでストーリーを広げて欲しい。
また別作品で登場する事を期待したい。
「自生の夢」に見る間宮潤堂の可能性
短編集「自生の夢」には7作品が収録されているが、このうち4作品は連作である。
この連作に登場するテクノロジーや企業はどれも現代を微妙にズラしたような設定なのだが、最初の3作品に登場する新世代の申し子アリス・ウォンが主人公かと思いきや実は違う。
真の主役は、間宮潤堂という男だ。
アリス・ウォンと間宮潤堂は、どちらも「言葉」という世界において卓越した才能を持っている。
アリス・ウォンが新技術を用いた詩作において世界中を虜にするアイドル的立ち位置である一方、間宮潤堂はその文章と言葉で人すら殺せるほどの力を持つ。
しかも間宮潤堂は、ストーリー開始時点で既に故人だ。
その既にこの世にいない男がなぜ、どのようにしてこの世界に蘇ったのかは作品を読んで頂きたいが、この作品が作られた経緯の方がどちらかと言うと面白い。
作者の飛浩隆先生いわく、この作品はある作家たちへの激励のために書かれた。
その作家とは、円城塔だ。
円城塔は、友人である伊藤計劃の絶筆「死者の帝国」を代わって書きあげたが、この
「自生の夢」はその作業へのエールであると飛先生は語る。
なぜこの作品がそのような意味を持つのかは、本の巻末にノートとして収録されているので、是非読んで欲しい。
もちろん、単純に作品としても楽しいし面白い。
特に間宮潤堂は飛先生も気に入っているらしく、若かりし頃の彼を主人公とした別作品も書いておられる。
こちらも、いずれどこかの時点で本にまとめられるとよいなあ。(掲載雑誌がもう手に入らないようなので)
個人的には、飛浩隆先生が映画版「機動警察パトレイバーⅡ」をお好きだという所にシンパシーを覚えて嬉しくなった。
いいよね、パトレイバー。
「ポリフォニック・イリュージョン」
最後に「ポリフォニック・イリュージョン」だが、こちらは飛先生の初期作品および書評やインタビューが纏められた本である。
個人的には特に短編小説「地球の裔」が好きだった。
他にもいろいろな作品が収められており、小説「星窓」は「自生の夢」に収められていたリミックスバージョンとは別バージョンになっている。
これを先に読んでおけば、「自生の夢」に収録されていた方のストーリーがなぜあのような事になっていたのかが解明する。
自分は「星窓リミックスバージョン」を先に読んでしまったので若干混乱した。
また、解説等には先の円城塔と伊藤計劃との関係についてより詳しく語られているので、こちらもファンにとっては嬉しいだろう。
自分は伊藤計劃の作品は未読だが、これを機会に読んでみたいと思った。
「廃園の天使」の復活
廃園の天使シリーズの第一作目「グラン・ヴァカンス」と、その設定短編集「ラギッド・ガール」を初めて読んだときは震えた。
たぶん、読んだことのある方はお分かりになるだろう。
先にも書いたように、飛浩隆先生は寡作だ。
もう30年以上作家をされている割には、発表された作品は少ない。
「廃園の天使」も、あの世界観を作り出すのに10年掛かっている。
最初にこのシリーズを読んだ時は、単行本が出てから6年くらいたっていたので正直ガッカリしたのだ。
「ひょっとしてこの作家さん、もう続きを書かないんじゃないか?」と。
あまりにも面白い作品ゆえに、そしてまだまだ解明していない設定や謎が多すぎるゆえに、読者としては歯がゆすぎるのだ。
物凄い寸止め感を味わわされる。
このシリーズは全3部作らしいが、失礼ながら作者がもうあまりお若くないので、要らない心配までしてしまう。
なので、求めても与えられない焦燥と、傷つきたく気持ちもあってこれまで無意識に飛浩隆を避けてきた。
それが、数年ぶりにふと「ラギッド・ガール」を読んでしまったがために再燃してしまったのである。
だが、こういう時の本好きのカンは侮れない。
なんと、最近になってこのシリーズの続編が連載されていたのだ!
SFマガジン2020年2月号より、「空の園丁」が開始されている。
飛浩隆氏の『空の園丁』ですが、SFマガジン来年2月号といいますか、今年の12月25日発売の2020年2月号、創刊60周年記念号からの連載となります。連載がどのぐらい続くかはわかりませんが、連載が終了してから単行本化までに7年もかからないように心掛けたいと思います。よろしくお願いします。 https://t.co/IMWeVqlHB0
— 塩澤快浩 (@shiozaway) 2019年7月29日
単行本化まで7年・・・。
先行きは遠いな。
西餅「ハルロック」でよく分かる電子工作のマイナーさ
このマンガの根底にあるのは、「好き」を突き詰めることの幸せである。
マイナーな趣味嗜好を持つ人は古今東西いると思うが、そんな人たちが感じてきたであろう「普通じゃない」ことの生きにくさをこのマンガは全力で肯定してくれる。
全5巻という短さが示す通り、お世辞にも世間的に大好評だったとは言えないこのマンガ。
だが、それでいい。
だって、マイナーだからこそ意義がある。
普通なら何も面白くはない。
電子工作が好きな人もそうじゃない人も、あまり一般的じゃない趣味を持つ人は、このマンガの主人公ハルちゃんにきっと共感できるはずだ。
「ハルロック」ってどんなマンガ?
このマンガは、以前別の記事に書いた「僕はまだ野球を知らない」の作者西餅先生の2作品目であり、初の女の子が主人公である。
だが、「電子工作×女子大生=今まで見たこともないマンガ!」と銘打たれている通り、これが一筋縄ではいかない。
主人公の向坂晴(さきさかはる:通称ハルちゃん)は都内の大学に通う女子大生だが、そんな彼女の趣味はなんと電子工作だ。
高校時代の恩師、河原崎数一先生の指導の元ハードを自作する喜びにどっぷりと浸かってしまった彼女は、毎日大学と秋葉原を往復する。
「花の女子大生がなにをやってるんだ」と母親には心配されるが、ハルちゃんは何も気に病まない。
「毎日こんなに楽しいんだから何も心配ないと思うけどな~。」
と、今日もパーツ屋で面白いものを見つけては目を輝かせたり、秋葉原で知り合った同じく電子工作好きのスーパー小学生と仲良くなったりして毎日楽しく過ごしている。
幼馴染の真下や大学でできた貴重な友人たちに囲まれながら、不可思議な発想で作成したツールを使い、周囲の人たちのお悩みを次々解決していく。
時には「やっぱり自分って普通じゃないのかな・・・」と悩みながらも次第に仲間も増え、なんとついには在学中に起業までしてしまうのだ!
正直、電子工作の知識が無いとハルちゃんが一体何を言っているのかさっぱり分からない部分も多いのだが、そこはまあ分かる人だけ分かればよい。
このマンガではハルちゃんの独特な思考回路と、周囲の人間の反応を面白がれればそれで良いと思う。
普通じゃない事の悩み
「普通」とはなんだろう?
恐らく人生で一度は疑問に思った事があるはずだ。
ちょっとでも王道から外れた事をすると、「普通じゃない」と言われ疎外感を感じてしまい、そんな自分を恥ずかしく思ったりいたたまれなくなって、必死で周囲に合わせようとしてしまう・・・。
西餅先生のマンガは、そんな人々に勇気と一種の「解」をくれるのだ。
このマンガの主人公ハルちゃんも、作中で度々この壁にぶち当たる。
電子工作なんて、ハッキリ言ってあまり一般的な趣味ではない。
とくに女の子がハマる趣味としては、かなり微妙である。
ゆえに、ハルちゃんは悩む。
「世の中には女の子の趣味として歓迎されるものと、そうじゃないものがあるんだ。」と。
仲良くなった近所の小学生(通称うに先輩)が、同級生から「ハカセ」と呼ばれ尊敬され、父親からも全力でその才能を応援されているのとは裏腹に、ハルちゃんは肩身が狭いのだ。
この辺りは、古くは川原泉先生の「ふしぎなマリナー」を彷彿とさせる。
この話の主人公も、エリート一家に生まれた生粋のお嬢様にも関わらず、趣味が魚釣りなためにお上品なご学友と全く話が合わないというキャラクターだった。
世の中にはコアな趣味を持つ裏の顔と表の顔を両立させるハイブリッドな人種も存在するが、大抵の場合において趣味人とは孤独な生き物である。
ハルちゃんも高校時代は女友達のオシャレトークについて行けなかったり、うっかり電子工作の素晴らしさについて語ってしまったために周囲にドン引かれたりする。
趣味が高じておそらく文系にも関わらず筑波大学(多分理工学部あたり)を受験したものの落ちてしまい、仕方なく後期試験で合格した総合大学の社会学部に入学する。
多分、こういう経験をした人って結構いるんじゃないだろうか。
第一線には行けなかったけど、それでも「好きだから」学校の勉強以外は全てを電子工作に捧げ、最後は一見無関係に見えた社会学部での学びすら電子工作に結び付けてしまう。
それは、彼女が「好き」を貫いた事の結果なのだ。
価値観は人それぞれ
ハルちゃんは自分でも自覚するほどに、世間ずれしている。
ぼーっと好きなことだけをして生きてきた結果、大学生にもなってお化粧にもオシャレにもまったく興味がないし出来ない。
むろん、異性を好きになったり彼氏を作ったりもしない。
その理由は、彼女の中ではそれらの優先順位が限りなく低いからだ。
せっかく顔が可愛いのに、服はお母さんが用意した服をただ毎日機械的に着るだけ。
友達に付き合って行った化粧品コーナーでは、休日無理やり買い物に付き合わされたお父さんのような魂の抜けた顔になってしまう。
「社会人になったら身だしなみだって重要になってくるし、まったくしないのはおかしい」、「その若さでオシャレにも恋愛にも興味がなく、毎日電子工作の事ばかり考えてるのって変だと思う」と友人の小松さんに言われショックを受けつつも、
ハル「だからってファンデーションに5千円も出せるかっていうと・・・」
うに先輩「Arduino Unoが買えるじゃない」
ハル「そうなのよ」
あくまでも自分の中に譲れない一線があり、ブレないハルちゃんなのであった。
変な趣味を持つ娘とそれを心配する両親
上にも書いた通りハルちゃんは世間ずれしており、また人とのコミュニケーションも達者とは言い難い。
攻撃的なタイプのオタクではないので嫌われたり憎まれたりこそしないものの、独特の感性でもって世界を認識しているので他人の感情の機微に疎く、悪気なくお母さんや友達を怒らせたりする。
そんなハルちゃんを両親は心配し、特にお母さんは「娘が友達を家に連れてくる」と聞いただけで大はしゃぎしたり、「娘が朝帰りをした後、話があると言い出す」シチュエーションに「彼氏フラグキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」と拳を振り上げたりする。
娘を愛するが故にハルちゃんの趣味に口出しこそしないものの、内心はかなり心配してくれているのである。
恐らくハルちゃんもその辺は察しており、自分の好きにさせてくれる両親に対して感謝の念を持っている。
親が自分の意見を強引に押し付けたりせずに、応援とはいかなくとも肯定してくれる事のありがたみを噛みしめているのだ。
また上にも書いた通り、ハルちゃんは異性に興味がない。
目ぼしいのを探そうにも、ハルちゃんの周囲にいる男性がウニ先輩(小学生)と幼馴染の真下(ストーカー)と河原崎先生(壮年)くらいなので、これがまたお母さんの頭を悩ませる。
まあ真下くんは父親譲りのストーカー体質とは言え、それ以外はスペックが高いのでこの先順当に行けば彼に軍配が上がるだろう。
実は筑波大学にアルバイトに行った際、「真空管の奏でる音色に感動するような女性がタイプ」という妙なイケメンとお近づきになっていたのだが、こちらは数話で消えてしまった。
恐らくこの頃には打ち切りが決まっていたのかもしれない。
一人娘ゆえに、どうしてもハルちゃんに「女の子らしい生き方」を期待してしまうお母さん。
だが、実はハルちゃんのお母さんだって若い頃は前歯を飛ばすほどの情熱を持って女子野球チームで捕手をしていた人であり、こちらも「女の子らしい」趣味かと言われれば一般的には首を傾げるところだろう。
多分ハルちゃんがそっち方面に行っていれば、お母さんは大喜びで娘を応援していたに違いないのである。
佐々大河「ふしぎの国のバード」で旅する異国
このマンガで描かれる「ふしぎの国」とはなんと日本のことであり、明治初期の地方文化を紹介した書籍「日本奥地紀行」が下敷きとなっている。
本の作者であり主人公のイザベラ・バード女史の目を通して、当時の日本(主に地方)の文化風習が生き生きと描写されており、単なる旅行記に留まらないストーリー展開も含めとにかく面白い。
コロナのせいで旅行に行きたくても行けない人はこのマンガを読んで、ちょっとタイムスリップしてみてはいかがだろうか。
完全に異世界な明治の日本
このマンガを初めて見たときは、失礼ながら「森薫みたいな人が出てきたなー」と思った。
これは自分だけでなく一緒に本屋を巡っていた友人も同じ感想を抱いていたから、多分的外れではないはずだ。
主に絵の感じや歴史・風俗を題材に扱っている点を見てそう思ったわけだが、中身を読んでみるとそれがかなり見当はずれな考えだとわかった。
確かに、絵の描き込みは凄い。
兎に角『正確に描写しよう』という作者の意気込みが随所に感じられ、そこは森薫先生に通じるものがあった。
だが、題材が外ならぬ日本だ。
それも、明治初期というそれほど遠くもない過去の日本である。
19世紀の中央アジアが舞台の「乙嫁語り」よりは自分たちにとって身近であり、知識だってそれなりにあるはずだ。
それこそ創作でも、明治時代を扱ったものは幾らでもある。
有名なところならマンガ「るろうに剣心」や「日露戦争物語」、マニアックな作品なら「八雲百怪」などなど。
映画やドラマなどの映像作品でもよく取り上げられるし、特に歴史好きな人でなくともまったく知識が無いわけがない。
だが、このマンガの中で描かれている日本はどうだろう。
これが本当に自分たちの今住んでいる国なのだろうか?
大多数の国民が和装なのはまあ分かるとしても、お歯黒をした女性や異人(外国人)に対してあまりにも無知蒙昧な一般人たち。
老若男女問わず殆ど裸同然の恰好で生活し、混浴風呂にだって平気で入る。
特にバードが好んで探訪する地方では、貧困と不衛生は当たり前の事で、戊辰戦争の爪痕もまだ深い。
食生活はあまりにも質素で、肉はおろか魚すらほとんど食べる習慣がないという。
原作ありきとは言えそういった当時の日本の現実を、佐々大河先生は容赦なく絵に起こしていく。
歴史モノのドラマや映画は数多あれど、ここまで正確には作られていない。
視聴者はドラマにリアリティを求めつつも、都合の悪いものは見たくないものだ。
人気女優やアイドルが眉毛を剃ってお歯黒を入れたりしていたら、絶対にクレームがくるだろう。
イザベラ・バードと伊藤鶴吉の関係性
このマンガのテーマは言わずもがな、「当時の先進国イギリス人から見た東洋の島国日本」という所謂カルチャーショックなのだが、もう一つ主軸となるものがある。
それが、主人公バードと伊藤の関係性だ。
バードはイギリスでは著名な女性冒険家(レディトラベラー)で、これまでに世界各地を冒険した体験を旅行記として出版している有名人である。
そんな彼女が満を持して新たな挑戦の場として選んだのが、近年世界にその存在が知られ出したばかりの未開の島国「日本」だった。
横浜から東北、そして最終目的地として蝦夷ヶ島を目指しており、道中見聞きしたその土地の文化風習を彼女は貪欲に学び書き記していく。
たびたび引き合いに出して申し訳ないが、「乙嫁語り」に登場するスミス氏のような位置づけである。
一方、バードに通訳として雇われた伊藤は、当時の日本では考えられないほどに流暢な英語を操り、しかも類を見ない有能さでバードをサポートする。
通訳としての仕事に誇りを持つ伊藤は、バードに「伊藤、あれは何?」と聞かれると淀みなく答えを返す。
それは、バードと同じくそれを「初めてみる」自分たち読者にも、新しいことを知る喜びを与えてくれる。
宿および馬の手配だけでなく、洗濯などの雑事や旅先での交渉、時には料理まで作ってしまう万能さに加え、バードを危険から守ろうと体を張る伊藤。
金にがめつく甘いものに目がないところをバードに呆れられながらも、旅を通してバードの伊藤への信頼感はどんどん高まり続けていく。
そして伊藤も、バードに対し淡い感情を抱き始める(ように見える)。
もちろん、この辺りの2人の関係性は旅行記からは読み取る事ができない類のものなので、恐らく作者の創作だろう。
もしかすると、中島京子の小説「イトウの恋」にインスパイアされているのかもしれない。
文明国から見た未開の地
イギリスは現在でも存在感の大きい国だが、当時の状況は現在とは大きく違う。
明治初期のイギリスと言えば、大英帝国というくらいで世界でもトップの文明国だった。
そんなイギリス人のバードから見た日本の、なんとみすぼらしいことか。
戊辰戦争を経て、とにかく先進諸国に追いつけ追い越せと躍起になっていた当時の日本は、自分たちの文化を捨てどんどん西洋化を進めていく。
それに違和感と残念な気持ちを覚えながらも、今なお残る風習を「完全に消えてしまわないうちに」書き残したいとバードは筆を走らせる。
未知のものに触れたいと過酷な道を歩きながらも、時には故郷が恋しくなり「お肉が食べたい!ミルクが飲みたい!」と叫んだり、日本食の不味さに愚痴を零したりする。
もっとも、旅先で出てくる料理の殆どは質素すぎたり不衛生であったりで、現代の日本人でも食べられたものではないだろう。
時には死にそうな目にあったり、人々に偏見の目で見られ(時には同じイギリス人からも)傷つきながらも、バードは諦めない。
どんな目に会おうとも、行く先々で出会う景色に感動し、人々との交流を楽しみ、風俗に戸惑いながら、それを「面白い」と感じ受け入れていくのだ。
この辺りは彼女の持つ人生観が大いに関係している。
生まれつきの持病を抱えうつ状態だった若かりし頃のバードが、ある事を切欠に文字通り「生まれ変わる」ストーリーが収録された5巻を是非読んで欲しい。
一方、バードと対極の位置にいる伊藤は、同じものを見てまた違う感想を抱く。
伊藤は彼なりに日本の文化に誇りを持っており、何よりそれを正しくバードに伝えたいと思っている。
だがなまじ通訳としてイギリスやアメリカの進んだ文化と触れる機会の多い伊藤は、どうしてもそれを自国と比べ劣等感を持ってしまうのだ。
政府の方針と同じく、「恥ずべき風習は捨て、日本もどんどん近代化(西洋化)するべき」と考える伊藤にとって、バードが特に知りたがる古臭い習慣は忌むべきものなのである。
しかも、横浜という都会に育った彼にとっては、地方の劣悪な環境や前時代的な風習は見るに堪えない。
バードと違い、自分の国の事であるからこそ、目をそらしたくなるのだ。
マリーズ氏の登場と今後の行方
現在6巻まで刊行されている「ふしぎの国のバード」だが、いよいよ次巻では秋田に到着する。
そこで問題となってくるのが、3巻から登場していたマリーズ氏の存在だ。
マリーズ氏とは伊藤の前雇用主であり、彼に正しい英語と仕事の仕方を教え込んだ恩人でもある。
世界中の珍しい植物を採取しイギリスに持ち帰るのが仕事の「プラントハンター」だ。
その彼が契約書を武器に、伊藤を連れ戻そうとする。
ただ彼の目的はあくまでも日本にある珍しい植物であり、日本の文化に対して経緯などは持っていない。(もっともマリーズ氏はえらい美形に描かれているので、一部の人には好評かもしれない)
当然、伊藤の方は彼の事を嫌っており、一度はマリーズ氏からの手紙を無視しバードと仕事をすることを選ぶ。
そりゃあ例え今以上の給料を出すと言われても、自分のやり方以外認めず文字通り部下に暴力を振るうパワハラ上司より、日本の文化に興味アリアリできちんと休日だってくれる上司の方が良いだろう。
だがバードの持病が発覚したことで状況は一変する。
伊藤はバードの身を案じ、「秋田に着いたら自分は横浜のマリーズ氏のところに戻る」と告げる。
それに対しバードは「結論を急ぐことはない」と説き伏せるが・・・。
次巻ではいよいよ、この展開に決着がつく筈である。
果たしてバードと伊藤の旅はどうなるのか?
明らかにバードを意識しだしている伊藤は、バードの婚約者の存在を知ってどうするのか?
新キャラの小林先生はまた登場するのか?
恐らく5月頃になるであろう、7巻の発売が楽しみである。
盆ノ木至「吸血鬼すぐ死ぬ」アニメ化まだー?
私はギャグマンガが好きだ。
シリアスも良いけど、どちらかというとギャグが好き。
あんまり隠されたシリアス設定とかはいらない。
ギャグマンガは、読んで笑顔になれればそれでいいのだ。
そんなわけで、今日はひたすら笑いたい方に「吸血鬼すぐ死ぬ」をオススメしたい。
「吸血鬼すぐ死ぬ」ってどんなマンガ?
吸血鬼がすぐ死にます。以上。
凄く簡潔にまとまってしまったが、もうそれしか言いようがない・・・。
とにかく死ぬのだ、主人公の吸血鬼が(コイツが主人公だよね?)。
恐ろしく虚弱体質なので、まともに戦ったら死ぬ(そもそも戦わない)。
ちょっとこづいただけでも死ぬ。
くしゃみしただけでも死ぬ・・・。
まあ、次のコマでは何事もなかったように生き返っているので悲壮感は0なのだが、主人公のそんな虚弱っぷりとは裏腹に、周囲を固めるのは猛者揃いである。
そのギャップが面白いのだ。
主人公の吸血鬼ドラルクは、真祖と呼ばれる偉大な吸血鬼ロードの一族なんだけども、とにかく弱い。
趣味はクソゲーをプレイする事で、昼間は棺桶の中で眠り、吸血鬼らしく夜型生活を送っている。
当然血を吸ったりなんてできないから、ボトル詰めされた既製品や、血を商品として提供しいてる居酒屋みたいな店でしか飲めない。
普段は血の代わりに牛乳を飲んで凌いでいる(母乳の元は血液だからだろう)。
その割に所帯じみていて、料理がめちゃくちゃ上手で何でも作れてしまう。
退治人のロナルドの家に勝手に居候する代わりに家事はドラルクがやっており、ヒロインの1人であるヒナイチちゃんも、ドラルクの作るお菓子に餌付けされている。
ハッキリ言って戦闘では何の役にも立たないし、すぐ調子に乗って何かと人間(主にロナルド)を下に見るが、根が真面目過ぎるイイヤツなので、どうにも憎めない性格なのだ。
一方もう一人の主人公は、吸血鬼の退治人をしているロナルドである。
日本人のはずなのだが銀髪に碧い目の超美男子で、常に赤いコートと帽子を纏っている。
文字通りの体育会系で、真面目な戦闘では引けは取らない。
退治人だけでなく自伝小説を出している作家でもあり、主に女性ファンが多くついている。
なのに「ゴリラ」とあだ名されるほど単純バカで、死ぬほどモテない。
意識レベルが小学生なみなので、よくドラルクや近所の悪ガキにバカにされている。
あとセロリを見ただけで失神したりする。
彼の童貞とセロリ嫌い、そしてドラルクとのかけ合いは、このマンガの鉄板ネタになっている。
また、敵として登場する吸血鬼たちも変態やら変体ばかりで面白い。
ほぼ全員、得意技がそのまま名前になってしまっており、野球拳が好きな吸血鬼はその名も「吸血鬼・野球拳大好き」である(もうちょいひねれよ)。
だが覚えやすくて良い。
ちなみに私が一番好きなキャラは「吸血鬼・熱烈キッス」。
彼女に至っては、吸血鬼なのかどうかすらわからない。
ハムやん・・・。
他にも警察の一組織である吸血鬼対策課や、始末人ギルドのメンバー、果てはそこら辺を歩いている普通の一般人まで、どいつもとにかくキャラが濃い。
これだけ人数が増えてきて、それでも一人ひとりがしっかりキャラ立ちしているのは素晴らしいし、明らかに主人公たちより特徴が多い。
ほとんど胸焼けするレベルである。
そんななか、一服の清涼剤なのがドラルクの使い魔(?)であるアルマジロのジョン。
可愛い。アルマジロ可愛い。
アルマジロをこんなにキュートに押し出した作品って今までなかったんじゃなかろうか?
とにかく可愛い。
「ヌー」としか喋らないのにめちゃくちゃ感情表現豊かで、とうとう彼単独の単行本まで出てしまった可愛いさなのだ。
このジョンを見るためだけでも、このマンガを読んで欲しいくらいである。
「吸血鬼すぐ死ぬ」アニメ化待ってます
「吸血鬼すぐ死ぬ」は、現在14巻まで発売されている。
2018年には「アニメ化して欲しいマンガランキング」で4位になっており、てっきりすぐにアニメ化するもんだと思っていたのだが、今のところ動きはない。
コラボカフェにもなったことだし、秋田書店も力を入れていると思われるが・・・。
やはりチャンピオン系は難しい。
昔からそうだチャンピオンは。
初動が遅い。
「弱虫ペダル」だってもっと早めにアニメ化していれば、もう少しブームの息も長かったんじゃないかと思う。
私としてはアニメ化したら絶対見たい作品なので、なんとか頑張ってほしい。
盆ノ木至先生の体調が気にかかる
ところで、このマンガの作者である盆ノ木至先生だが、昨年度々体調を崩されて一時期休載されていた。
マンガを描くのはそれだけでも大変な作業だし、あのギャグを一体どんなテンションで描いているのかわからないが、とにかく体は大事にしていただきたい。
犬好きはその昔、「はじめての甲子園」というギャグマンガを連載されていた、火村正紀先生の死に大いにショックを受けた事があった。
マンガが途中で終わってしまったのも悲しかったが、好きな作家さんが志半ばで逝去されたのが何より無念だった。
盆ノ木至先生にはそんな事になって欲しくない。
幸いと言っては変だが、「吸血鬼すぐ死ぬ」は何か壮大な目標があるわけではない1話完結型のマンガである。
ちょっとくらい休載が続いたってかまわない。
そんなの「HUNTER×HUNTER」に比べれば、休んでないに等しい。
休載期間分の売り上げはコラボカフェなりジョンのぬいぐるみなり、編集部が上手い事補填してくれることを期待する。
そんなことを考えながら、5月の15巻発売をソワソワしながら待ち続けるのだった。
魔神ぐり子「楽屋裏-講談社地獄篇-」
魔神ぐり子さんという漫画家さんがいらっしゃってですね。
ええまあ、自分大好きなんですわこの方。
今は懐かしき「ドラクエ4コマ」でデビューされた方の一人で、その後も主に4コママンガを中心に、いろいろな雑誌で描き続けていらっしゃるベテラン作家である。
私と同世代のオタクは恐らく10人中6人くらいは知っていて然るべきだが、「自分は見た事ない、そんな人は知らない!関わり合いにならないでくれ!」という方は、ちょっと兄弟とか友達に聞いてみて欲しい。
絶対一人くらいは、心当たりのあるヤツがいるはずである。
そんなわけで、知ってる人も知らない人も、ちょっとぐり子について語りましょうや。
「楽屋裏~講談社地獄篇~」ってどんな内容?
魔神ぐり子先生が一番最近出された単行本がこれである。
「楽屋裏~講談社地獄篇~」というタイトルの通り、講談社から出ている。
講談社と言えば、私と同じくらいのアラフォー女性の約半数は通ってきたであろう「なかよし」を出版していた会社である。
『少女時代に「なかよし」を選ぶか、それとも「りぼん」を選ぶかで、その後の人生が大きく分かれる』との説がまことしやかに囁かれていたが、まあその話は置いておいて。
講談社と言えば、「なかよし」や「モーニング」などのマンガ雑誌以外にも、「With」や「ViVi」などのファッション誌や、真面目なところでは「週刊現代」や「小説現代」なども発行している大手出版社だ。
さぞかしお堅い会社かと思いきや、このタイトルを許すあたり割とユーモアのある会社なのかもしれない。
この「楽屋裏」というタイトルの歴史は長い。
それこそドラクエ四コマのあとがきから始まり、スクエアエニックスお家騒動を経てからは一迅社で長年連載され、終了してから約4年後の2018年に講談社で連載が開始された。
満を持しての復活である。
何故そんな事になったのかというと、一迅社で魔神ぐり子先生の担当をしていた元編集長の小柳氏が講談社に転職し、その縁で連載の話が持ち上がったらしい。
やはり人の縁とは大事なものである。
内容は、魔神ぐり子先生の日常に起こったことが得意のハイテンションなギャグセンスで面白おかしく描かれており、どこまでが本当でどこまでが誇張なのか判断しにくいところが魅力である。
「楽屋裏」というタイトルが示す通り、マンガ業界の関係者にウケが良いらしく、有名な先生がたが帯の推薦文を書いていたり、小柳氏の編集仲間から励ましの声が掛かる事がよくあるらしい。
もちろん業界関係者でなくても楽しめるので、かつてドラクエ四コマやドラクエ1Pコミック劇場で魔神ぐり子先生を覚えている方は、是非読んでみる事をオススメする。
魔神ぐり子さんのここが凄い!
自分と魔神ぐり子先生の付き合いは長い。
とは言っても、もちろん直接知り合いな訳ではなく、あくまでも作家と読者としてである。
ドラクエ4コマのデビュー時に初めて読んで衝撃を受け、ドラクエブームが落ち着いてからは、火の玉コミックスや4コマ雑誌などあちこちで先生の作品に触れて生きてきた。
ちなみに「火の玉コミックスってなんじゃい?」というお若い方のために一応補足すると、かつて様々なゲームタイトルの4コマやアンソロジーを公式出版していたレーベルである(格闘、RPG、オチゲーなどもあった)。
これが自分のような「骨の髄までゲーマーという訳ではないけれど、マンガもゲームもどちらも好きなハイブリッドオタク」には非常に喜ばれ、本屋で目にするとついつい買ってしまいたくなったものだ。
勿論中身は確認しようがないためアンソロジーという性質上、全部が全部気に入る内容なはずもなく、「鬼が出るか蛇が出るか」それは読んでからのお楽しみであり、値段分の価値があるかは運まかせだった(一冊の値段が結構高かった)。
そんな感じであるから、背表紙の作家一覧に「魔神ぐり子」と書かれていると、一種の安心感を持てたものだ。
「この人の作品なら間違いない」と信じ、そして期待が裏切られた事がない。
時にはまったくやったことのないゲームなのに、作家買いしてしまった事もあった。
魔神ぐり子先生の何がそんなに良いかと言うと、まずその絵柄だ。
上手いのである。
少女漫画のキラキラさと、少年漫画のシャープさが程よくミックスされ、流れるような綺麗な線で描かれている。
4コマ出身だからか、変にクセがなくシンプルで見やすい。
絵柄というのは、好みなり尊敬なり目標なり、作家さんが歩まれてきた歴史が如実に反映されるものだと考えるが、この方の絵柄はあまり類似例がない。
先生に影響を受けたファンは多いと思うのだが、真似がしづらい画風なのか、先にも後にもいないのである。
流行りに流されない独特の描き方で、個性がにじみ出ており、一目で「あ、魔神さんだ」とわかるのである。
そんな明るく綺麗な絵柄で、テンションが天元突破したようなギャグストーリーが繰り広げられるのだ。
しかもただ綺麗なだけでなく、変顔などで抜くべきところは抜いてくるので、とにかく飽きさせない。
これで癖にならないわけがない。
近年の連載が主に女性誌であるにもかかわらず、ファン層に男性が多いのもうなづける。
人生のどこかで一度でもぐり子の魅力にハマってしまうと、生涯抜け出し辛くなるのであろう。
魔神ぐり子さんがインタビューに答えてらっしゃる
なんでこの記事を書こうと思ったかというと、これである。
長年ぐり子先生を追ってきた自分であるが、あまりインタビューに答えているのを見た記憶がない。
自分が知らないだけで実はよく答えていたのかもしれないが、とりあえず見たのはこれが初めてなのだ。
現在も連載を持っておられる他、企画もいくつか動いているようなので、ファンとしては嬉しい限りである。
どうか気力と体力の許す限り、なるべく長く作家活動を続けて欲しい。
そのためにも、自分はぐり子のタニマチになりたい。
これまで通り、「コミックスが出たと思ったら、その時にはすでにレジで精算が完了している」くらいのつもりで生きていこうと思う。
残念ながら「楽屋裏-講談社地獄篇-」は連載終了し、今のところ続編の話は聞かないが、こちらもまたどこかで復活してくれることを願う。
ところで、「ドラクエ4コマ」と「どこまで嘘か本当かわからない業界マンガ」というくくりで思い出したのだが、自分は柴田亜美先生の「ドキばぐ」というシリーズも好きだった。
そういえばこの先生もその昔「なかよし」で、講談社の編集者たちが悪役として登場するという、気の狂ったマンガを連載されていたので、別に講談社はお堅くもなんともなかった。
自分の勘違いだった。