西餅「ハルロック」でよく分かる電子工作のマイナーさ
このマンガの根底にあるのは、「好き」を突き詰めることの幸せである。
マイナーな趣味嗜好を持つ人は古今東西いると思うが、そんな人たちが感じてきたであろう「普通じゃない」ことの生きにくさをこのマンガは全力で肯定してくれる。
全5巻という短さが示す通り、お世辞にも世間的に大好評だったとは言えないこのマンガ。
だが、それでいい。
だって、マイナーだからこそ意義がある。
普通なら何も面白くはない。
電子工作が好きな人もそうじゃない人も、あまり一般的じゃない趣味を持つ人は、このマンガの主人公ハルちゃんにきっと共感できるはずだ。
「ハルロック」ってどんなマンガ?
このマンガは、以前別の記事に書いた「僕はまだ野球を知らない」の作者西餅先生の2作品目であり、初の女の子が主人公である。
だが、「電子工作×女子大生=今まで見たこともないマンガ!」と銘打たれている通り、これが一筋縄ではいかない。
主人公の向坂晴(さきさかはる:通称ハルちゃん)は都内の大学に通う女子大生だが、そんな彼女の趣味はなんと電子工作だ。
高校時代の恩師、河原崎数一先生の指導の元ハードを自作する喜びにどっぷりと浸かってしまった彼女は、毎日大学と秋葉原を往復する。
「花の女子大生がなにをやってるんだ」と母親には心配されるが、ハルちゃんは何も気に病まない。
「毎日こんなに楽しいんだから何も心配ないと思うけどな~。」
と、今日もパーツ屋で面白いものを見つけては目を輝かせたり、秋葉原で知り合った同じく電子工作好きのスーパー小学生と仲良くなったりして毎日楽しく過ごしている。
幼馴染の真下や大学でできた貴重な友人たちに囲まれながら、不可思議な発想で作成したツールを使い、周囲の人たちのお悩みを次々解決していく。
時には「やっぱり自分って普通じゃないのかな・・・」と悩みながらも次第に仲間も増え、なんとついには在学中に起業までしてしまうのだ!
正直、電子工作の知識が無いとハルちゃんが一体何を言っているのかさっぱり分からない部分も多いのだが、そこはまあ分かる人だけ分かればよい。
このマンガではハルちゃんの独特な思考回路と、周囲の人間の反応を面白がれればそれで良いと思う。
普通じゃない事の悩み
「普通」とはなんだろう?
恐らく人生で一度は疑問に思った事があるはずだ。
ちょっとでも王道から外れた事をすると、「普通じゃない」と言われ疎外感を感じてしまい、そんな自分を恥ずかしく思ったりいたたまれなくなって、必死で周囲に合わせようとしてしまう・・・。
西餅先生のマンガは、そんな人々に勇気と一種の「解」をくれるのだ。
このマンガの主人公ハルちゃんも、作中で度々この壁にぶち当たる。
電子工作なんて、ハッキリ言ってあまり一般的な趣味ではない。
とくに女の子がハマる趣味としては、かなり微妙である。
ゆえに、ハルちゃんは悩む。
「世の中には女の子の趣味として歓迎されるものと、そうじゃないものがあるんだ。」と。
仲良くなった近所の小学生(通称うに先輩)が、同級生から「ハカセ」と呼ばれ尊敬され、父親からも全力でその才能を応援されているのとは裏腹に、ハルちゃんは肩身が狭いのだ。
この辺りは、古くは川原泉先生の「ふしぎなマリナー」を彷彿とさせる。
この話の主人公も、エリート一家に生まれた生粋のお嬢様にも関わらず、趣味が魚釣りなためにお上品なご学友と全く話が合わないというキャラクターだった。
世の中にはコアな趣味を持つ裏の顔と表の顔を両立させるハイブリッドな人種も存在するが、大抵の場合において趣味人とは孤独な生き物である。
ハルちゃんも高校時代は女友達のオシャレトークについて行けなかったり、うっかり電子工作の素晴らしさについて語ってしまったために周囲にドン引かれたりする。
趣味が高じておそらく文系にも関わらず筑波大学(多分理工学部あたり)を受験したものの落ちてしまい、仕方なく後期試験で合格した総合大学の社会学部に入学する。
多分、こういう経験をした人って結構いるんじゃないだろうか。
第一線には行けなかったけど、それでも「好きだから」学校の勉強以外は全てを電子工作に捧げ、最後は一見無関係に見えた社会学部での学びすら電子工作に結び付けてしまう。
それは、彼女が「好き」を貫いた事の結果なのだ。
価値観は人それぞれ
ハルちゃんは自分でも自覚するほどに、世間ずれしている。
ぼーっと好きなことだけをして生きてきた結果、大学生にもなってお化粧にもオシャレにもまったく興味がないし出来ない。
むろん、異性を好きになったり彼氏を作ったりもしない。
その理由は、彼女の中ではそれらの優先順位が限りなく低いからだ。
せっかく顔が可愛いのに、服はお母さんが用意した服をただ毎日機械的に着るだけ。
友達に付き合って行った化粧品コーナーでは、休日無理やり買い物に付き合わされたお父さんのような魂の抜けた顔になってしまう。
「社会人になったら身だしなみだって重要になってくるし、まったくしないのはおかしい」、「その若さでオシャレにも恋愛にも興味がなく、毎日電子工作の事ばかり考えてるのって変だと思う」と友人の小松さんに言われショックを受けつつも、
ハル「だからってファンデーションに5千円も出せるかっていうと・・・」
うに先輩「Arduino Unoが買えるじゃない」
ハル「そうなのよ」
あくまでも自分の中に譲れない一線があり、ブレないハルちゃんなのであった。
変な趣味を持つ娘とそれを心配する両親
上にも書いた通りハルちゃんは世間ずれしており、また人とのコミュニケーションも達者とは言い難い。
攻撃的なタイプのオタクではないので嫌われたり憎まれたりこそしないものの、独特の感性でもって世界を認識しているので他人の感情の機微に疎く、悪気なくお母さんや友達を怒らせたりする。
そんなハルちゃんを両親は心配し、特にお母さんは「娘が友達を家に連れてくる」と聞いただけで大はしゃぎしたり、「娘が朝帰りをした後、話があると言い出す」シチュエーションに「彼氏フラグキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」と拳を振り上げたりする。
娘を愛するが故にハルちゃんの趣味に口出しこそしないものの、内心はかなり心配してくれているのである。
恐らくハルちゃんもその辺は察しており、自分の好きにさせてくれる両親に対して感謝の念を持っている。
親が自分の意見を強引に押し付けたりせずに、応援とはいかなくとも肯定してくれる事のありがたみを噛みしめているのだ。
また上にも書いた通り、ハルちゃんは異性に興味がない。
目ぼしいのを探そうにも、ハルちゃんの周囲にいる男性がウニ先輩(小学生)と幼馴染の真下(ストーカー)と河原崎先生(壮年)くらいなので、これがまたお母さんの頭を悩ませる。
まあ真下くんは父親譲りのストーカー体質とは言え、それ以外はスペックが高いのでこの先順当に行けば彼に軍配が上がるだろう。
実は筑波大学にアルバイトに行った際、「真空管の奏でる音色に感動するような女性がタイプ」という妙なイケメンとお近づきになっていたのだが、こちらは数話で消えてしまった。
恐らくこの頃には打ち切りが決まっていたのかもしれない。
一人娘ゆえに、どうしてもハルちゃんに「女の子らしい生き方」を期待してしまうお母さん。
だが、実はハルちゃんのお母さんだって若い頃は前歯を飛ばすほどの情熱を持って女子野球チームで捕手をしていた人であり、こちらも「女の子らしい」趣味かと言われれば一般的には首を傾げるところだろう。
多分ハルちゃんがそっち方面に行っていれば、お母さんは大喜びで娘を応援していたに違いないのである。
体温計がどこにもないのでいっそ自作したい
連日のコロナ騒ぎでとうとう緊急事態宣言まで出てしまった日本だが、皆さまいかがお過ごしだろうか。
自分は土日は「自粛」と称して家に籠りながらも、平日は地下鉄に乗って通勤するという明らかに矛盾する生活を送っている。
仕方がない、生活のためだ。
だいたい、週末家にいるのは何も緊急事態でなくてもそうなので何も問題ない。
つまり、通常運転である。
それでも偶には遊んでいた友人たちとも直接会う機会が減ってしまい、少し寂しいと言えば寂しいがそれはまあ置いておいて。
今回は体温計の話である。
体温計って必要?
コロナが騒がれ出したころからいろいろな物が品薄になっているという話は聞いていた。
代表的なのがマスクだ。
物資に溢れた日本でマスクだけがピンポイントで店頭から消え、とうとう政府が布マスクを全世帯に支給すると言い出したのは記憶に新しい。
他にもトイレットペーパーやらなんやらが一時期買い占め騒ぎにあったらしいのだが、自分が実感するよりも前にこちらは収束したらしいのでよく分からない。
だが依然マスクは手に入らず、近くのドラッグストアの店員さんによると「朝店頭に並べると同時に売り切れる」との事なので、これは仕事をしている人間には完全に「詰み」である。
しかしマスクはまだいい。
いざとなれば布マスクを手作りする事ができる。
問題は、自分では作れない物が手に入らないという事なのだ。
そう、体温計である。
恥ずかしながら、自分は体温計を持っていない。
1人暮らしをして数年になるが、あまり体調を崩さないうえ「風邪かな?」と思っても一晩寝れば体調が良くなっていたので、特に持つ必要性を感じなかったからだ。
コロナが騒がれ出した頃に少しでも危機感を持って動けば良かったのだが、生憎普段使わないものには意識が向かず、マスクの心配ばかりしていた。
職場ものんびりしたもので、「具合が悪ければ欠勤、出社後体調が悪くなれば退社するように」という「それって平常時と同じじゃ・・・」な感じのぼんやりした指示だったので、特に体調が悪くない=普通に生活で過ごしてきてしまった。
それが最近になって、職場が全社員の体温を全て記録すると言い出した。
困ったことになった。
適当に申告してごまかすという方法も考えたが、もし万が一本当に体調が悪くなってしまった場合は、流石に正しい数値を報告する必要がある。
ここにきて、初めて自分の迂闊さに気づいた。
体温計がどこにも売ってないし手に入らない
そんな訳でお達しが出てからというもの、体温計を求めてあちこち探しまわっているのだが、マジで見つからない。
近所のドラッグストアは勿論、家電量販店にも行ってみたが売り切れである。
そもそも電子機器の部品は殆どが中国で生産されており、その中国が今しっちゃかめっちゃかな状態なのだから当然と言えば当然である。
とはいえ、消耗品のマスクと違い体温計なんて一家に一台あれば十分だろう。
仮に年頃のお嬢さんがいて、「お父さんが脇に挟んだ体温計なんて使いたくない!」というなら二台あってもいいが、それにしてもここまで店頭に無いのはおかしい。
「やはり、転売ヤーによる買い占めだろうか?」
そんな不穏な考えが頭をよぎったが、だからと言って事態は改善しない。
医療機関や福祉施設に優先的に回されているのかもしれないが、それにしても品薄すぎる。
勿論Amazonや楽天でも探したし、モノタロウやアスクルなどのオフィスサプライヤー系も巡ってみた。
だがあったとしても1万円以上する商品や、発送に3週間以上かかるものしか出てこない。
体温計なんて普通安いものなら数百円で買えるし、正直1万円以上するような業務用のやつを欲しいとは思わない。
だが、今は緊急事態である。
多少の出費は目を瞑ると覚悟して、なんとかヤフーショッピングで自分の中で納得のいく値段のものを探し当てた。
5000円くらいするが、発送時期が一番短かく「翌日発送」するとある。
つまり早ければ今週中には手に入るはずだ。
それまでは体調を崩すことがないよう祈るしかない。
正直、体温計に5000円なんて普段の自分なら絶対に出さない金額である。
だが背に腹は代えられない。
とにかく「一刻も早く体温計をこの手に入れる必要性がある!」と自分を納得させるしかなかった。
体温計、そこに無ければ無いですね
ところでネットで情報を探すと、やはり皆さん体温計が手に入らず苦労しているらしい。
「良かった。のんびりしているのは自分だけじゃなかった。」と安心しながら、じゃあどこなら手に入るのか?と興味深く記事を読んでいった。
一説によると、一部のホームセンターやコンビニならまだ希望があるらしいと知り、朝から近所のコンビニをはしごしてみた。
「不要不急の外出は控えよう」とは思うが、これは明らかに急を要する。
だが結論から言うと、やはりどこにも売っていない。
ホームセンターは近所に無いので分からないが、少なくともファミマ、セブンイレブン、ローソン全て全滅である。
そもそも自分は普段コンビニで体温計を見た記憶がないのだが、普通の人は目に入っていたのだろうか?
どのコーナーにあるか見当が付かずに、サニタリー、薬用品、電子機器コーナーを順番に確認していったのだがどこにも無い。
念のため店員に聞けばよかったのかもしれないが、「そこに無ければ無いですね」と言われるのがシャクで聞けなかった。
第一、「熱さまシート」の隣になければ普通どこにも無いのではないだろうか・・・。
ついでに最近新しくできたドラッグストアにも足を伸ばしてみたのだが、案の定こちらにもなかった。
一瞬「あった!」と思ったのだが、よく見ると妊娠検査薬だった。
形が似ていてややこしいので、もう少し置き場所を考えてもらいたい・・・。
佐々大河「ふしぎの国のバード」で旅する異国
このマンガで描かれる「ふしぎの国」とはなんと日本のことであり、明治初期の地方文化を紹介した書籍「日本奥地紀行」が下敷きとなっている。
本の作者であり主人公のイザベラ・バード女史の目を通して、当時の日本(主に地方)の文化風習が生き生きと描写されており、単なる旅行記に留まらないストーリー展開も含めとにかく面白い。
コロナのせいで旅行に行きたくても行けない人はこのマンガを読んで、ちょっとタイムスリップしてみてはいかがだろうか。
完全に異世界な明治の日本
このマンガを初めて見たときは、失礼ながら「森薫みたいな人が出てきたなー」と思った。
これは自分だけでなく一緒に本屋を巡っていた友人も同じ感想を抱いていたから、多分的外れではないはずだ。
主に絵の感じや歴史・風俗を題材に扱っている点を見てそう思ったわけだが、中身を読んでみるとそれがかなり見当はずれな考えだとわかった。
確かに、絵の描き込みは凄い。
兎に角『正確に描写しよう』という作者の意気込みが随所に感じられ、そこは森薫先生に通じるものがあった。
だが、題材が外ならぬ日本だ。
それも、明治初期というそれほど遠くもない過去の日本である。
19世紀の中央アジアが舞台の「乙嫁語り」よりは自分たちにとって身近であり、知識だってそれなりにあるはずだ。
それこそ創作でも、明治時代を扱ったものは幾らでもある。
有名なところならマンガ「るろうに剣心」や「日露戦争物語」、マニアックな作品なら「八雲百怪」などなど。
映画やドラマなどの映像作品でもよく取り上げられるし、特に歴史好きな人でなくともまったく知識が無いわけがない。
だが、このマンガの中で描かれている日本はどうだろう。
これが本当に自分たちの今住んでいる国なのだろうか?
大多数の国民が和装なのはまあ分かるとしても、お歯黒をした女性や異人(外国人)に対してあまりにも無知蒙昧な一般人たち。
老若男女問わず殆ど裸同然の恰好で生活し、混浴風呂にだって平気で入る。
特にバードが好んで探訪する地方では、貧困と不衛生は当たり前の事で、戊辰戦争の爪痕もまだ深い。
食生活はあまりにも質素で、肉はおろか魚すらほとんど食べる習慣がないという。
原作ありきとは言えそういった当時の日本の現実を、佐々大河先生は容赦なく絵に起こしていく。
歴史モノのドラマや映画は数多あれど、ここまで正確には作られていない。
視聴者はドラマにリアリティを求めつつも、都合の悪いものは見たくないものだ。
人気女優やアイドルが眉毛を剃ってお歯黒を入れたりしていたら、絶対にクレームがくるだろう。
イザベラ・バードと伊藤鶴吉の関係性
このマンガのテーマは言わずもがな、「当時の先進国イギリス人から見た東洋の島国日本」という所謂カルチャーショックなのだが、もう一つ主軸となるものがある。
それが、主人公バードと伊藤の関係性だ。
バードはイギリスでは著名な女性冒険家(レディトラベラー)で、これまでに世界各地を冒険した体験を旅行記として出版している有名人である。
そんな彼女が満を持して新たな挑戦の場として選んだのが、近年世界にその存在が知られ出したばかりの未開の島国「日本」だった。
横浜から東北、そして最終目的地として蝦夷ヶ島を目指しており、道中見聞きしたその土地の文化風習を彼女は貪欲に学び書き記していく。
たびたび引き合いに出して申し訳ないが、「乙嫁語り」に登場するスミス氏のような位置づけである。
一方、バードに通訳として雇われた伊藤は、当時の日本では考えられないほどに流暢な英語を操り、しかも類を見ない有能さでバードをサポートする。
通訳としての仕事に誇りを持つ伊藤は、バードに「伊藤、あれは何?」と聞かれると淀みなく答えを返す。
それは、バードと同じくそれを「初めてみる」自分たち読者にも、新しいことを知る喜びを与えてくれる。
宿および馬の手配だけでなく、洗濯などの雑事や旅先での交渉、時には料理まで作ってしまう万能さに加え、バードを危険から守ろうと体を張る伊藤。
金にがめつく甘いものに目がないところをバードに呆れられながらも、旅を通してバードの伊藤への信頼感はどんどん高まり続けていく。
そして伊藤も、バードに対し淡い感情を抱き始める(ように見える)。
もちろん、この辺りの2人の関係性は旅行記からは読み取る事ができない類のものなので、恐らく作者の創作だろう。
もしかすると、中島京子の小説「イトウの恋」にインスパイアされているのかもしれない。
文明国から見た未開の地
イギリスは現在でも存在感の大きい国だが、当時の状況は現在とは大きく違う。
明治初期のイギリスと言えば、大英帝国というくらいで世界でもトップの文明国だった。
そんなイギリス人のバードから見た日本の、なんとみすぼらしいことか。
戊辰戦争を経て、とにかく先進諸国に追いつけ追い越せと躍起になっていた当時の日本は、自分たちの文化を捨てどんどん西洋化を進めていく。
それに違和感と残念な気持ちを覚えながらも、今なお残る風習を「完全に消えてしまわないうちに」書き残したいとバードは筆を走らせる。
未知のものに触れたいと過酷な道を歩きながらも、時には故郷が恋しくなり「お肉が食べたい!ミルクが飲みたい!」と叫んだり、日本食の不味さに愚痴を零したりする。
もっとも、旅先で出てくる料理の殆どは質素すぎたり不衛生であったりで、現代の日本人でも食べられたものではないだろう。
時には死にそうな目にあったり、人々に偏見の目で見られ(時には同じイギリス人からも)傷つきながらも、バードは諦めない。
どんな目に会おうとも、行く先々で出会う景色に感動し、人々との交流を楽しみ、風俗に戸惑いながら、それを「面白い」と感じ受け入れていくのだ。
この辺りは彼女の持つ人生観が大いに関係している。
生まれつきの持病を抱えうつ状態だった若かりし頃のバードが、ある事を切欠に文字通り「生まれ変わる」ストーリーが収録された5巻を是非読んで欲しい。
一方、バードと対極の位置にいる伊藤は、同じものを見てまた違う感想を抱く。
伊藤は彼なりに日本の文化に誇りを持っており、何よりそれを正しくバードに伝えたいと思っている。
だがなまじ通訳としてイギリスやアメリカの進んだ文化と触れる機会の多い伊藤は、どうしてもそれを自国と比べ劣等感を持ってしまうのだ。
政府の方針と同じく、「恥ずべき風習は捨て、日本もどんどん近代化(西洋化)するべき」と考える伊藤にとって、バードが特に知りたがる古臭い習慣は忌むべきものなのである。
しかも、横浜という都会に育った彼にとっては、地方の劣悪な環境や前時代的な風習は見るに堪えない。
バードと違い、自分の国の事であるからこそ、目をそらしたくなるのだ。
マリーズ氏の登場と今後の行方
現在6巻まで刊行されている「ふしぎの国のバード」だが、いよいよ次巻では秋田に到着する。
そこで問題となってくるのが、3巻から登場していたマリーズ氏の存在だ。
マリーズ氏とは伊藤の前雇用主であり、彼に正しい英語と仕事の仕方を教え込んだ恩人でもある。
世界中の珍しい植物を採取しイギリスに持ち帰るのが仕事の「プラントハンター」だ。
その彼が契約書を武器に、伊藤を連れ戻そうとする。
ただ彼の目的はあくまでも日本にある珍しい植物であり、日本の文化に対して経緯などは持っていない。(もっともマリーズ氏はえらい美形に描かれているので、一部の人には好評かもしれない)
当然、伊藤の方は彼の事を嫌っており、一度はマリーズ氏からの手紙を無視しバードと仕事をすることを選ぶ。
そりゃあ例え今以上の給料を出すと言われても、自分のやり方以外認めず文字通り部下に暴力を振るうパワハラ上司より、日本の文化に興味アリアリできちんと休日だってくれる上司の方が良いだろう。
だがバードの持病が発覚したことで状況は一変する。
伊藤はバードの身を案じ、「秋田に着いたら自分は横浜のマリーズ氏のところに戻る」と告げる。
それに対しバードは「結論を急ぐことはない」と説き伏せるが・・・。
次巻ではいよいよ、この展開に決着がつく筈である。
果たしてバードと伊藤の旅はどうなるのか?
明らかにバードを意識しだしている伊藤は、バードの婚約者の存在を知ってどうするのか?
新キャラの小林先生はまた登場するのか?
恐らく5月頃になるであろう、7巻の発売が楽しみである。
本の整理ってどうしてる?自分は売る派
皆さん、本はお好きだろうか?
自分は大好きだし、本がないと生きていけない。
最近は電子書籍も定着してきたしたまには買う事もあるけれど、基本は断然「紙」派である。
今回は、そんな本好きにつきものの悩みについて書きたい。
紙媒体と電子書籍
電子書籍が世の中に出回ってもうどれくらいになるだろうか。
kindleを筆頭に、楽天KOBOや各書店のオリジナルブランドなど、出版社が運営しているオンライン雑誌なども含めると、世界中に電子書籍は出回っている。
確かに電子書籍は便利だ。
書評ブログやネットで良さげな本を見つけて、読みたいと思えばすぐに買える。
わざわざ本屋に行ったり、通販で届くのを待つ必要もない。
ほんのちょっぴりだが、値段もお安い。
だが紙の本には電子書籍にはない良さがある。
「空間」だ。
小説でも教科書でもマンガでも、何か書いてあった内容を思い出す時、「たしかこの辺のページの右下の方で見たはず・・・」と、記憶にある場所を頼りに探すことはないだろうか?
私は結構ある。
覚え違いをしていて全然見当違いなところで目的の文章が見つかる事もあるが、それもまた楽しい。
「電子書籍なら単語で検索かければ一発じゃん」と思われるかもしれないが、そうじゃないのだ。
確かに技術書などは検索機能があった方が便利な場合が多いが、少なくともマンガや小説、画集などの趣味本は、「空間」も読む一部だと私は思っている。
内容だけでなく表紙や装丁まで含め、3次元に実在する本と言う存在そのものが、読者の読む対象なのである。
気に入った好きな本は部屋に飾っておきたいし、気が向いたらすぐに開いて読みたい。
これは電子書籍にはできないことだ。
移動の際に何百冊もの本をデータで持ち歩ける電子書籍は勿論魅力だが、どちらかと言うと読みかけの単行本を荷物にひっそり忍ばせておきたい。
タブレットの電源すら入れるのが面倒になる自分の場合、根本的に性格が向いていないだけかもしれないが・・・。
存在するが故に存在が邪魔
そんな何物にも代えがたい利点を持つ紙の本だが、本好きを悩ませる難題が一つある。
邪魔なのだ、その存在が。
「さっきと言ってる事矛盾してるじゃねーか」と思われるかもしれないが、人と人とがそうであるように、人と本にもお別れする時がやってくる。
期待して買ってはみたもののハズレだった本、昔は楽しく読んでいたけど飽きてしまった本、読んだ内容が自分の中で十分に消化され、もう手元にある必要がなくなった本などなど。
悲しいことに人の持ち得る空間には限りがあるので、そういった本たちをいつまでも住まわせておくスペースはこの日本にはない。
無尽蔵に収納できる図書館でも持っていれば話は別かもしれないが、そんなバベルの図書館みたいなのを持てるのは、「宵闇眩燈草紙」の麻倉美津里くらいである。
そうでない一般人には、「断捨離」という名のデトックスタイムが何年かに一回必ず訪れる。
そんな時、上に書いたような本がまっさきに段ボール箱に詰められ、時には気が変わって救助されたりして、この先の運命を待つことになるのだ。
ここで選択肢に上るのが、①古本業者に売る②捨てる③誰かに譲るのいずれかである。
人により好みがあると思うし、どれが正しいという訳ではないのだが、基本的に自分は①を選択する事にしている。
丁度良く欲しいと言ってくれる人がいれば③でも良いし、施設への寄付などもこれに該当する。
そういえばブックオフが出だした頃は、「古本業者への売却は作者および出版社にとって不利益だからやるべきではない」との説が実しやかに囁かれていたが、最近はあまり聞かない。
それを言い出したら、昔ながらの古書店や東京神保町の古書店街はどうなるんだって言う話だし、本以外のモノだって最近はメルカリに何でも出品されている。
エコだなんだと言われる今のご時世でリサイクルしないのもおかしい。
少なくとも自分は本好きとして②を選択するのはあり得ないので、それなら①か③で必要とされる所に旅立たせてやる方が良いと思っている。
あと単純に、次の本を買う資金が欲しい。
どこの業者に頼むか、それが問題だ
最近は古本の買い取り業者が増えた。
一昔前なら利便性なども考えてブックオフ一択だったのだが、今は似たようなシステムの業者が多い。
ブックオフの査定基準が近頃はイマイチな気がしていたので、新しい業者を開拓しようといくつかサービスを比較してみると、ざっと検索しただけでも5社くらい出てきた。
私事ではあるが最近引っ越しをしたので、イイ感じの量になった本たちの引き取り先を探そうと思ったわけである。
まず、どこも「段ボールはこちらで用意しますよ」と言ってくれる。優しい。
一昔前なら、家に何か荷物が届いた時にイイ感じの段ボールをキープしておくか、近所のスーパーまで行って頼んでわけてもらっていたのに、これが無料である。
次に、配送票を書かなくて良い。
時間指定で来てくれた集荷の人が持ってきてペタリと貼ってくる。神か。
さらに、査定金額を書いとる前に教えてくれる。
もし気に入らなければ断れるらしい。親切。
最後に、査定金額に不満があれば無料で送り返してくれるらしい。
大丈夫か。
親切すぎて逆に怪しい。本当にちゃんと儲けが出ているのだろうか?
その分、査定額が低めになったりするんじゃなかろうか。
なんだか逆に不安になってきた・・・。
とりあえず明日が集荷日なので、結末がどうなるか期待せずに待っていようと思う。
面白い結果になったら、続報を書くかもしれない。
盆ノ木至「吸血鬼すぐ死ぬ」アニメ化まだー?
私はギャグマンガが好きだ。
シリアスも良いけど、どちらかというとギャグが好き。
あんまり隠されたシリアス設定とかはいらない。
ギャグマンガは、読んで笑顔になれればそれでいいのだ。
そんなわけで、今日はひたすら笑いたい方に「吸血鬼すぐ死ぬ」をオススメしたい。
「吸血鬼すぐ死ぬ」ってどんなマンガ?
吸血鬼がすぐ死にます。以上。
凄く簡潔にまとまってしまったが、もうそれしか言いようがない・・・。
とにかく死ぬのだ、主人公の吸血鬼が(コイツが主人公だよね?)。
恐ろしく虚弱体質なので、まともに戦ったら死ぬ(そもそも戦わない)。
ちょっとこづいただけでも死ぬ。
くしゃみしただけでも死ぬ・・・。
まあ、次のコマでは何事もなかったように生き返っているので悲壮感は0なのだが、主人公のそんな虚弱っぷりとは裏腹に、周囲を固めるのは猛者揃いである。
そのギャップが面白いのだ。
主人公の吸血鬼ドラルクは、真祖と呼ばれる偉大な吸血鬼ロードの一族なんだけども、とにかく弱い。
趣味はクソゲーをプレイする事で、昼間は棺桶の中で眠り、吸血鬼らしく夜型生活を送っている。
当然血を吸ったりなんてできないから、ボトル詰めされた既製品や、血を商品として提供しいてる居酒屋みたいな店でしか飲めない。
普段は血の代わりに牛乳を飲んで凌いでいる(母乳の元は血液だからだろう)。
その割に所帯じみていて、料理がめちゃくちゃ上手で何でも作れてしまう。
退治人のロナルドの家に勝手に居候する代わりに家事はドラルクがやっており、ヒロインの1人であるヒナイチちゃんも、ドラルクの作るお菓子に餌付けされている。
ハッキリ言って戦闘では何の役にも立たないし、すぐ調子に乗って何かと人間(主にロナルド)を下に見るが、根が真面目過ぎるイイヤツなので、どうにも憎めない性格なのだ。
一方もう一人の主人公は、吸血鬼の退治人をしているロナルドである。
日本人のはずなのだが銀髪に碧い目の超美男子で、常に赤いコートと帽子を纏っている。
文字通りの体育会系で、真面目な戦闘では引けは取らない。
退治人だけでなく自伝小説を出している作家でもあり、主に女性ファンが多くついている。
なのに「ゴリラ」とあだ名されるほど単純バカで、死ぬほどモテない。
意識レベルが小学生なみなので、よくドラルクや近所の悪ガキにバカにされている。
あとセロリを見ただけで失神したりする。
彼の童貞とセロリ嫌い、そしてドラルクとのかけ合いは、このマンガの鉄板ネタになっている。
また、敵として登場する吸血鬼たちも変態やら変体ばかりで面白い。
ほぼ全員、得意技がそのまま名前になってしまっており、野球拳が好きな吸血鬼はその名も「吸血鬼・野球拳大好き」である(もうちょいひねれよ)。
だが覚えやすくて良い。
ちなみに私が一番好きなキャラは「吸血鬼・熱烈キッス」。
彼女に至っては、吸血鬼なのかどうかすらわからない。
ハムやん・・・。
他にも警察の一組織である吸血鬼対策課や、始末人ギルドのメンバー、果てはそこら辺を歩いている普通の一般人まで、どいつもとにかくキャラが濃い。
これだけ人数が増えてきて、それでも一人ひとりがしっかりキャラ立ちしているのは素晴らしいし、明らかに主人公たちより特徴が多い。
ほとんど胸焼けするレベルである。
そんななか、一服の清涼剤なのがドラルクの使い魔(?)であるアルマジロのジョン。
可愛い。アルマジロ可愛い。
アルマジロをこんなにキュートに押し出した作品って今までなかったんじゃなかろうか?
とにかく可愛い。
「ヌー」としか喋らないのにめちゃくちゃ感情表現豊かで、とうとう彼単独の単行本まで出てしまった可愛いさなのだ。
このジョンを見るためだけでも、このマンガを読んで欲しいくらいである。
「吸血鬼すぐ死ぬ」アニメ化待ってます
「吸血鬼すぐ死ぬ」は、現在14巻まで発売されている。
2018年には「アニメ化して欲しいマンガランキング」で4位になっており、てっきりすぐにアニメ化するもんだと思っていたのだが、今のところ動きはない。
コラボカフェにもなったことだし、秋田書店も力を入れていると思われるが・・・。
やはりチャンピオン系は難しい。
昔からそうだチャンピオンは。
初動が遅い。
「弱虫ペダル」だってもっと早めにアニメ化していれば、もう少しブームの息も長かったんじゃないかと思う。
私としてはアニメ化したら絶対見たい作品なので、なんとか頑張ってほしい。
盆ノ木至先生の体調が気にかかる
ところで、このマンガの作者である盆ノ木至先生だが、昨年度々体調を崩されて一時期休載されていた。
マンガを描くのはそれだけでも大変な作業だし、あのギャグを一体どんなテンションで描いているのかわからないが、とにかく体は大事にしていただきたい。
犬好きはその昔、「はじめての甲子園」というギャグマンガを連載されていた、火村正紀先生の死に大いにショックを受けた事があった。
マンガが途中で終わってしまったのも悲しかったが、好きな作家さんが志半ばで逝去されたのが何より無念だった。
盆ノ木至先生にはそんな事になって欲しくない。
幸いと言っては変だが、「吸血鬼すぐ死ぬ」は何か壮大な目標があるわけではない1話完結型のマンガである。
ちょっとくらい休載が続いたってかまわない。
そんなの「HUNTER×HUNTER」に比べれば、休んでないに等しい。
休載期間分の売り上げはコラボカフェなりジョンのぬいぐるみなり、編集部が上手い事補填してくれることを期待する。
そんなことを考えながら、5月の15巻発売をソワソワしながら待ち続けるのだった。
魔神ぐり子「楽屋裏-講談社地獄篇-」
魔神ぐり子さんという漫画家さんがいらっしゃってですね。
ええまあ、自分大好きなんですわこの方。
今は懐かしき「ドラクエ4コマ」でデビューされた方の一人で、その後も主に4コママンガを中心に、いろいろな雑誌で描き続けていらっしゃるベテラン作家である。
私と同世代のオタクは恐らく10人中6人くらいは知っていて然るべきだが、「自分は見た事ない、そんな人は知らない!関わり合いにならないでくれ!」という方は、ちょっと兄弟とか友達に聞いてみて欲しい。
絶対一人くらいは、心当たりのあるヤツがいるはずである。
そんなわけで、知ってる人も知らない人も、ちょっとぐり子について語りましょうや。
「楽屋裏~講談社地獄篇~」ってどんな内容?
魔神ぐり子先生が一番最近出された単行本がこれである。
「楽屋裏~講談社地獄篇~」というタイトルの通り、講談社から出ている。
講談社と言えば、私と同じくらいのアラフォー女性の約半数は通ってきたであろう「なかよし」を出版していた会社である。
『少女時代に「なかよし」を選ぶか、それとも「りぼん」を選ぶかで、その後の人生が大きく分かれる』との説がまことしやかに囁かれていたが、まあその話は置いておいて。
講談社と言えば、「なかよし」や「モーニング」などのマンガ雑誌以外にも、「With」や「ViVi」などのファッション誌や、真面目なところでは「週刊現代」や「小説現代」なども発行している大手出版社だ。
さぞかしお堅い会社かと思いきや、このタイトルを許すあたり割とユーモアのある会社なのかもしれない。
この「楽屋裏」というタイトルの歴史は長い。
それこそドラクエ四コマのあとがきから始まり、スクエアエニックスお家騒動を経てからは一迅社で長年連載され、終了してから約4年後の2018年に講談社で連載が開始された。
満を持しての復活である。
何故そんな事になったのかというと、一迅社で魔神ぐり子先生の担当をしていた元編集長の小柳氏が講談社に転職し、その縁で連載の話が持ち上がったらしい。
やはり人の縁とは大事なものである。
内容は、魔神ぐり子先生の日常に起こったことが得意のハイテンションなギャグセンスで面白おかしく描かれており、どこまでが本当でどこまでが誇張なのか判断しにくいところが魅力である。
「楽屋裏」というタイトルが示す通り、マンガ業界の関係者にウケが良いらしく、有名な先生がたが帯の推薦文を書いていたり、小柳氏の編集仲間から励ましの声が掛かる事がよくあるらしい。
もちろん業界関係者でなくても楽しめるので、かつてドラクエ四コマやドラクエ1Pコミック劇場で魔神ぐり子先生を覚えている方は、是非読んでみる事をオススメする。
魔神ぐり子さんのここが凄い!
自分と魔神ぐり子先生の付き合いは長い。
とは言っても、もちろん直接知り合いな訳ではなく、あくまでも作家と読者としてである。
ドラクエ4コマのデビュー時に初めて読んで衝撃を受け、ドラクエブームが落ち着いてからは、火の玉コミックスや4コマ雑誌などあちこちで先生の作品に触れて生きてきた。
ちなみに「火の玉コミックスってなんじゃい?」というお若い方のために一応補足すると、かつて様々なゲームタイトルの4コマやアンソロジーを公式出版していたレーベルである(格闘、RPG、オチゲーなどもあった)。
これが自分のような「骨の髄までゲーマーという訳ではないけれど、マンガもゲームもどちらも好きなハイブリッドオタク」には非常に喜ばれ、本屋で目にするとついつい買ってしまいたくなったものだ。
勿論中身は確認しようがないためアンソロジーという性質上、全部が全部気に入る内容なはずもなく、「鬼が出るか蛇が出るか」それは読んでからのお楽しみであり、値段分の価値があるかは運まかせだった(一冊の値段が結構高かった)。
そんな感じであるから、背表紙の作家一覧に「魔神ぐり子」と書かれていると、一種の安心感を持てたものだ。
「この人の作品なら間違いない」と信じ、そして期待が裏切られた事がない。
時にはまったくやったことのないゲームなのに、作家買いしてしまった事もあった。
魔神ぐり子先生の何がそんなに良いかと言うと、まずその絵柄だ。
上手いのである。
少女漫画のキラキラさと、少年漫画のシャープさが程よくミックスされ、流れるような綺麗な線で描かれている。
4コマ出身だからか、変にクセがなくシンプルで見やすい。
絵柄というのは、好みなり尊敬なり目標なり、作家さんが歩まれてきた歴史が如実に反映されるものだと考えるが、この方の絵柄はあまり類似例がない。
先生に影響を受けたファンは多いと思うのだが、真似がしづらい画風なのか、先にも後にもいないのである。
流行りに流されない独特の描き方で、個性がにじみ出ており、一目で「あ、魔神さんだ」とわかるのである。
そんな明るく綺麗な絵柄で、テンションが天元突破したようなギャグストーリーが繰り広げられるのだ。
しかもただ綺麗なだけでなく、変顔などで抜くべきところは抜いてくるので、とにかく飽きさせない。
これで癖にならないわけがない。
近年の連載が主に女性誌であるにもかかわらず、ファン層に男性が多いのもうなづける。
人生のどこかで一度でもぐり子の魅力にハマってしまうと、生涯抜け出し辛くなるのであろう。
魔神ぐり子さんがインタビューに答えてらっしゃる
なんでこの記事を書こうと思ったかというと、これである。
長年ぐり子先生を追ってきた自分であるが、あまりインタビューに答えているのを見た記憶がない。
自分が知らないだけで実はよく答えていたのかもしれないが、とりあえず見たのはこれが初めてなのだ。
現在も連載を持っておられる他、企画もいくつか動いているようなので、ファンとしては嬉しい限りである。
どうか気力と体力の許す限り、なるべく長く作家活動を続けて欲しい。
そのためにも、自分はぐり子のタニマチになりたい。
これまで通り、「コミックスが出たと思ったら、その時にはすでにレジで精算が完了している」くらいのつもりで生きていこうと思う。
残念ながら「楽屋裏-講談社地獄篇-」は連載終了し、今のところ続編の話は聞かないが、こちらもまたどこかで復活してくれることを願う。
ところで、「ドラクエ4コマ」と「どこまで嘘か本当かわからない業界マンガ」というくくりで思い出したのだが、自分は柴田亜美先生の「ドキばぐ」というシリーズも好きだった。
そういえばこの先生もその昔「なかよし」で、講談社の編集者たちが悪役として登場するという、気の狂ったマンガを連載されていたので、別に講談社はお堅くもなんともなかった。
自分の勘違いだった。
香港に行きたかった話
自分は海外旅行が好きなタイプだ。
なのにもう、かれこれ3年くらいはどこにも行っていない。
単純に仕事が忙しくて、なおかつ友人との都合が合わないせいもあるのだが、そんな私が今一番行きたいのが香港である。
何故あえて香港かと言うと、理由は簡単。
香港映画が好きだからだ。
今ものすごく香港に行きたい理由
ちょっと前にカンフー映画にハマった。
切欠はアレだ、1980年代に一世を風靡した映画「霊幻道士」を、Amazonプライムで何気なく観たのが始まりだった。
私と同じアラフォー世代は多分よくご存じだと思うが、私も子供の頃はキョンシーに夢中になったくちである。
特に「霊幻道士2」は何度も観た記憶があるし、可愛いテンテンをはじめ子供たちが主役の「幽玄道士」シリーズも大好きだった。
ちなみに、「幽玄道士」シリーズが実は台湾製作の映画だと、この年になって初めて知った。
「霊幻道士」は香港映画でありこちらの方が先に出ているのだが、なんでよく似たのが後から出てきてそれでOKだったのか調べてもよくわからなかった・・・。
当時は香港もまだイギリス領だった訳で、台湾は別の国なのに怒られなかったのだろうか??
まあ、どちらもそれぞれ面白いので、視聴者側としては両方楽しめて良いんですが・・・。
そんな訳だが大人になって改めて観たところ、「1が一番面白いな!?」と今更ながら目覚めてしまい、もう何回もリピートしてしまっている。
この映画が面白い理由としては、ホラーなのにコメディで笑いの要素が大きいのと、不思議でカッコいい道術の数々に中二心が疼くのもあるが、何よりアクションが派手でカッコいいからだ。
特に主役のラム・チェンイン(林正英)という役者さんの動きがとにかく凄い。
顔はこれと言って二枚目(あえて昭和風に二枚目と書く)という訳ではないし、背もそれほど高くない。
だから、見た目で売れるタイプの役者さんではない(と思う)。
だがよく見ると目がくりっとしてて可愛いし、表情の魅せ方がいちいち上手い。
伝統ある京劇学校の出身というだけあって、演技力(女形も演じられる)と運動神経は折り紙付き。
しかも、詠春拳の達人でもあるというラムさんの魅力に、自分はすっかり憑りつかれてしまったのだ。
それからというもの、霊幻道士シリーズはおろか、彼が出演している作品がどこかにないかネット上を根性で探索しまくっている。
(オタクは一度ハマると集中力が凄い)
日本に輸入されてないシリーズも含めたら、おそらく20本くらいは観たと思う。
ちなみに、霊幻道士シリーズは今でも新作が発表され続けており、最新作は2019年に公開された「霊幻道士X 最強妖怪キョンシー現る」である。
このシリーズだけで、既に10作品目である。
とは言っても、残念ながらラム・チェンインさんは数年前に鬼籍に入られてしまった(まだ若いのに・・・)ので、最近の作品は「1」で弟子役の一人を務めたチン・シュウホウ(錢小豪)という方が道士役を引き継いでいる。
これを知った時は、「水戸黄門を助さん役の人が引き継いだ」みたいな感動を覚えてホッコリしてしまった。
なお、この編の事情を知った上で、2013年に公開された清水崇監督の映画「キョンシー/リゴル・モルティス」を見ると、よりストーリーがぐっと来るのでおススメである。
カンフーアクションに引き込まれる
そんな訳で、香港アクション映画に魅了された私は、ここ最近ジャッキー・チェンやブルース・リーをはじめ、ユンピョウ、サモハン・キンポー、ジェット・リー、ドニー・イェン、アクションではないけどレスリー・チャンなども含め、目ぼしいタイトルをいろいろと観まくっている。
特にジャッキー映画は子供の頃、どれがどれだか分からなくなるくらい沢山見ていたはずなのだが、今見てもやはり面白い。
最近の作品だと、ドニー・イェンの「イップ・マン」も好きだ。
あとレスリー・チャンは子供の頃に「チャイニーズ・ゴーストストーリー」を観た記憶があったので、「あ~あれこの人だったのか~」と特に懐かしくなった。
(当時はまだ俳優さんとかあんまり意識して見てなかったので、「♬ニン・ツォイサン~だ!」と例のテーマ曲がまず頭を流れた)
当時の香港映画の何が良いって、「絶妙な手作り感」だと思うのだ。
予定調和とは言え、妙に迫力のある素敵なカンフーを軸に、キョンシーや幽霊も変にリアル過ぎなくて良い。
よく見たら「作り物じゃん」と分かるレベルの、それでも「本物感」のあるあの懐かしさが、かつて特撮映画を観ていた時のような感動を感じさせてくれる。
そのうえ、役者自身が文字通り体を張って演技しているのでやはり見ごたえがある。
勿論スタントがやっている部分もあるはずだが、人間が出来る限界ギリギリに挑戦した演技に、変な話だが「本物(リアル)」を感じてしまうのだ。
バレバレなワイヤーアクションも、それはそれでご愛敬である。
ハリウッドのバリバリにCGの効いたアクションも勿論好きでよく見るのだが、「こういうのも良いなあ」とあらためて思ったのだった。
聖地巡礼がしたい
そうして一通り気軽に手に入る感動を味わった後、オタクとしては次に何が来るかというとアレだ。
そう、聖地巡礼である。
特に「霊幻道士1」で、道士と弟子がコーヒーをよく分からずに飲むあの名シーンを撮影した喫茶店が今でも存在すると知って、いてもたってもいられなくなってしまった。
オタク歴は長くとも、あまり聖地巡礼には興味のないタイプのオタクだったのだが、ここだけは是非行ってみたい!
気持ちが先走ってお店の情報が載っている本まで買ってしまった。
(オタクは気になる事があれば、まず本を手に入れる)
その喫茶店とはどこかというと・・・。
その名も『陸羽茶室』である!
香港ではわりと高級な部類に入るお店らしく、なんと創業1933年!
実に83年もの歴史がある老舗である。
ここで、当時の撮影風景に思いを馳せながら、道士たちと同じようにコーヒーを飲んでみたい・・・。
私よりも前に「霊元道士」に心奪われた先達たちも、きっと同じことを考えたはずである。
コロナが憎い
久しぶりの海外旅行。
実は、香港には以前も行った事がある。
が、当時は聖地巡礼なんてこれっぽっちも頭になかった。
ただ何となく「香港行ったことないし距離も手ごろだから行ってみるかー。ついでにマカオも行っちゃう?」みたいなノリで友達と旅行してきただけなのだ。
もったいない!
今思うと、旅の目的がかなりあやふやだった。
2階建てバスに乗ってすぐ目の前を看板がびゅんびゅん通り過ぎていくのに「ヒャッハー!」となった記憶しかない。
でも今回は違う!
香港映画にどっぷり浸かった今の状態なら、きっとより香港の雰囲気を楽しめるはず!
いつ行こうかな?
友達も誘うならやっぱりゴールデン・ウィークかな!?
ここ行ってあれやってこれやって、と色々頭のなかで妄想旅行を繰り広げていたわけなのだが・・・。
コロナで行かれへんやん!
今それどころじゃねー!
外務省が外国行くなって言ってるー!
そもそも日本人が入国制限されてるから入国できねーー!!
というわけで、香港旅行はしばらくおあずけになったのだった・・・。
いつかコロナが収束して世界情勢が安定するその時まで。
映画を観ながらお金を貯めておこうと思う。